人を導くことのリスク

概要

自称スピリーダーに伝えたい。

人を救いたいという動機で活動されていることは尊敬に値すると思う。

しかし、人を導くことには大きなリスクがあることも示唆したい。

現状

私ごとき凡人の判断で恐縮だが、色々なスピに首をつっこんだだけの経験からいえることは、概ねスピリーダーは善意で行っているが、本当に真理を掴んだ者はいないということだ。

確かに、私たち凡人では経験しない特殊な現象を体験したり、多少霊的な能力を持っているためにそれを人の役に立たせたいという気持ちは否定しない。

しかし、どうも霊的な世界はこの世の人間が想像するよりもはるかに深淵で謎であり、そのため暗闇の中を進むごとき大きな危険性を孕んだものだという気がしてならない。

そのため、善意による活動でも結果的に人を誤った方向へ導いてしまう可能性が多いにあるのではないだろうか。

そのために、ヨーガの聖者のように本当に真理に到達したものは、世に出ず隠匿するのではないかと思う。

真理に到達したもののみが人を救うということの如何に容易なことではないことを認識するのかも知れない。

事実

スピリーダーに救いを求める私たちにも問題はある。

人によって、素質や環境、あるいはカルマは様々であり、ある方法を行えば救われるというような単純なものではない。

そして、自分の今までの過去の実績を棚に上げて安易に救ってもらいたいという気持ちは甘いと言われても仕方がないだろう(私を含めて)

ある意味、スピリーダーにも大いに同情するのは、色々な苦しみを持つ人々がすがってくるわけだから大変な責任とリスクを背負うことになる点だ。

そして、そんな人々を救う力もエネルギーも無いのではないか。そんなことを感じつつ日々のスピリーダーとして活動することは大変辛いことだろう。

仮説

私たち一般人がスピリチュアルからサヨナラすることはそう難しいことではない。単に個人の意思だけの問題だから。

ところが、スピリーダーが今さら多くの信望者を抱えた状態で、簡単に活動をやめることはできないだろう。

まあ、無理なことは承知で言うのだが、できれば自分の特殊な能力を人のためではなく、自分の幸せのために活用することをお勧めする。

そもそも、真理に到達した人はどうもこの世に未練がなくなるようである。(ヨーガの聖者の言動によれば)

霊的暗黒の現代であればこそ、世の中に真理の答えはあるはずもなく、ただ自分の正直な思いを見つめていくしかないのではないのかと思う。

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