進化論の生命起源説は疑似科学かも知れない

概要

日本では、進化論は一般的に正しい学説として認識されているが、キリスト教圏の中には疑似科学扱いしている国が本当にあるのだ。

世界には進化論と神による創造論が同じ真っ当な学問として肩を並べている国々が実在するのだ。

そのどちらも一長一短であり、本記事はそれをつぶさに検証するものではない。

生命の起源説の一点について、私見を述べる。

現状

聖書によると生物は神が創造したことになっているため、現在の種はそれぞれ神が創造したというのが米国などでは正しいこととして堂々と教育カリキュラム選択できるのだ。日本では一部のクリスチャンは信じているが、日本の教育現場では進化論しか教えていない。

もちろん、米国にも進化論を研究する学者はいる(有名なところでは「利己的な遺伝子」のリチャード・ドーキンス)

私もドーキンスの本はいくつか読んでいるが、彼のいう進化論の概ねは正しいと思うし同意するものである。

現代では分子生物学の発達によって遺伝子レベルで生物の進化を研究できるので、どうしても聖書より進化論の方が科学的だというのが一般的な日本人の感性だろう。

私は、さすがに聖書の言う、犬や猫を最初からいきなり神が創造したとは思えない。

長い年月をかけて徐々にある種から犬や猫に進化(変化)したのだと思う。

そうゆう意味では概ね進化論を支持するものである。

しかし、進化論では地球上に生命が誕生したのは、アミノ酸の分子構造の偶然の組み合わせだという説には大いに疑問がある。

事実

なぜ、進化論の生命起源説に同意できないのか?

理由はしごく単純である。

アミノ酸が漂うスープ状の海から生命が発生したというのなら、どの時代でも生命が発生するはずである。なぜなら、そのような環境は現代の地球にもあるし、実験室でも容易に作れるからである。

それでも、アミノ酸のスープから生命が発生したという事例や実験結果は一切ない。

つまり、生命は自然には発生しないという証拠ではないか。

仮説

生命は色々なモデルが知性ある何者かによって、設計され作成されたと思う。

もちろん、それは地球上の歴史ではないかも知れない。

広大な銀河の中で、遥か古の過去に高度な文明が生み出した可能性はないだろうか。

それが、宇宙に拡散され、その一部が地球に持ち込まれそれから徐々にあらゆる生物に進化していった

というのが私の疑似科学である(笑)

そして、いくらなんでも偶然に生命が発生するという説を真面目に本気で唱える進化論の科学者も立派な疑似科学ではないかと思う次第だ。

ここではあえて述べないが、進化論では説明不可能な生物の事例は山ほどある。進化論は別に完成された学問ではない。発展途上の学問なのである。反論はあって当たり前だ。しかし反論=進化論はウソという図式は早急すぎるだろう。

どちらにせよ、進化論と創造論の論争にはどちらも決めてがないため水掛け論になってしまうのだ。

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