概要
占いの世界では特に「運」という言葉をよく使う。
運がいい、運がわるい、運が開けるなど。
そもそも、運とは何か?
運がいいとかわるいとか言うが、本当なのか?
運について考えてみた。
現状
私たちは、日常よく「運がよかった」「運が悪かった」と言う。
何かの抽選に当たったら運がいい、はずれたら運が悪いのか?
事故にあっても軽傷ですんだから運がいいのか、事故にあったから運がわるいのか?(よく言われる不幸中の幸いってやつ)
よくある話だが、飛行機に登場する直前に具合が悪くなり登場を見送った人が、その飛行機が事故を起こして巻き込まれずすんだという話。
これは、運がよいと思いがちだが、たまたま結果が出る期間が短いためそう思うが、時間を大分経過してから結果的に運がよかったと後で思うこともある。
このように、運というのは全く個人が判断できないし、そもそもよい/わるいという判断は非常に曖昧なのだ。
事実
私たちは、日常で無意識に洗脳された個人個人の常識でもって物事の判断を下している。
何とも薄弱な根拠でもって日常を暮らしているのだ。
そうした現状において、占いで将来の吉兆を占うなどまさに意味がないことに思えないか?
極端なことを言えば、人生全てが終わってから個々の出来事の意味を真に理解できるのかも知れない。
そうだとしても、おそらく推測だが、どの出来事も必然でありよい/わるいなど区別できないことを理解するのではないだろうか?
仮説
結論的な仮説としては、運なんて無いということだ。
たとえは、大きな災害(東日本大震災など)で家族を失った人は沢山いるという事実。
彼らの全ては運がわるかったのか?
確かに運がよいとは言えないが、運がわるかったというレベルではないような気がする。
この世にこうした現実が起こるという事実がある以上、なぜ人によって結果が異なるのかという、その理由や原因はあるはずである。
しかし、残念ながら現代ではそのことを全く解明できていない暗黒時代なのだ。
いつか、こうしたからくりも明白になる時代が到来することを待つことにしよう。
少なくとも自分の運など全く気にする必要はないということだ。
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