概要
何者からかのメッセージを受信する?というチャネリングには大きく2つのタイプがあると思う。
一つは、意識を降ろしてしゃべらせるもの(本人はその間、記憶がないか傍観しているもの)
沖縄県のユタや青森県のいたこに代表されるように、昔からよくある伝統的なチャネリングだ。
二つ目は、あたかもそこに相手がいるかのように会話する形式のものである。
これは、ここ最近流行の形式で会話形式でまとめられているものだ。
今回は二つ目のチャネリングについて考察する。
現状
対話形式のチャネリングの特徴は、実際に対話するシーンは一切未公開であることだ。
その理由は、見た目には本人の心の中で会話しているか、本人だけが見える幻影と心の中で話をしているためだと思われる。つまり、見た目は普段と変わらないのではないかと想像する。
その会話?の記憶をもとに原稿化しているのだろう。
それとは対照的に意識を降ろして勝手にしゃべらせるものは、実際に本人がしゃべるのでその動画記録が沢山存在するし、それを聞いている聴衆がいる。
さて、対話形式のチャネリングで今メジャーなのは、まるで友達のような話し方で、タメ口やふざけたりもするユーモア満載なのである。
昔は概ね、高尚な意識が降りてくるという前提なので、なにか威厳があるような話し方が一般的だった。
この友達のような存在は、概ね本人の守護霊や指導霊ということになっている。
やはり、根っこは同じですね(笑)。スピではお馴染みのキャラである。
事実
対話するということは、明らかに本人の意識とは別の意識である。
私は、スピにハマっていたときは、この守護霊なるものを信じていた。
魂は本来は潜在意識と顕在意識に区切られているが本来は一つのものであり、守護霊と話すということは本人の潜在意識と話しているのだと解釈していたのだ。
しかし、事実はもっと単純でよいのではないかと思う。
本人の意識がいくつもあってもよいが、どのみち、各意識がそれぞれの意思を持つのであれば、それは結局別々の意識なのだと捉える方が自然ではないだろうか。
もちろん、意識の世界は深淵なるものかも知れないが、誰もその実体を説明できることが出来ない現代では足元の事実でわきまえるべきだと思っている。
したがって、守護霊や指導霊と称する意識は、基本的に他人と同じである。
実際に、どうやって対話しているのか、その仕組みは全く不明だが、少なくとも何か外部からの得たいの知れない意識と話をしている可能性は高い。
仮説
書籍で紹介されている対話もののチャネリングは、極端に言えば創作することも可能だ。
ここでも、スピの根本的な問題点が根っこにあるのだ。
それは、対話する相手の正体を証明することができないことだ。
「私はあなたの守護霊です。」「はい、そうですか」で全ての対話が始まるのである。
何者かと対話していることは事実だろう。
しかし、対話する相手のことはまったくブラックボックスでありながら、彼の話を公開し、それを読んだ読者の中にはそれを真面目に信じる人もいるのである。
話の内容は、日常生活の身近な悩みを解決する方策がほとんどだから、仮にハマってしまったとしてもそんなに実害はない。
しかし、読者は書籍を購入することで著者には印税が入り、知名度も上がり、出版社の利益に貢献しているのだ。
したがって、対話式チャネリング本も、楽しむためのエンターテインメントであることに変わりはない。
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