スピリチュアル批判をひとまずまとめてみた

概要

約半年間の間、スピのおかしな点を綴ってきた。

まだまだ、言い足りないことがあるし、あえて触れていないジャンルもある。

しかし、総じて言えることはスピリチュアルに何かを求めることはやめた方がよいと言うことだ。

本記事では、あらためてスピ批判を総論としてまとめてみる。

現状

この世の人は、誰もが大小の悩みや不安を抱えている。

※外からみてどんなに幸せそうな人でも、100%幸せな人はいない!

 いるとすれば、それは悟りに到達した聖者のみだろう。

そのため、何かにすがり助けてもらえるものを求める衝動は必ずあるのだ。

一方で、悩みや不安を解決する方法は安易で他力的なものを求めてしまう。

そこに、口を開けて待っているのがスピリチュアルの世界だ。

スピの表看板はどれも神秘的で癒し的で人を誘う魅惑に満ちている。

だが、スピの内容はウソが多いので効果は得られない。

だから、飽きてしまったり、疑問を感じ、また他のスピを求め彷徨うのだ。

まだ効果がなく彷徨うだけなら時間とお金の無駄だけで済むが、中にはかえって不幸になる被害者もいる。その実態を捉えることは困難だが決して少ない数ではないだろう。

事実

スピリチュアルは、明らかな商売であり立派なスピリチュアル業界を形成している。

スピで飯を食っている人はたくさんいるので、ある意味スピリチュアルはサービス業である。

代価の代わりに一時でも癒しと期待と夢を与えてくれるからだ。

そうゆう意味でも、スピリチュアルは列記とした業界として今後も巨大な産業として継続していくことだろう。

なお、スピリチュアルには色々な分野があるが、概ね霊界もの、SF(宇宙人、疑似科学、都市伝説など)、占い系、健康などに効果があるとされるヒーリング系および、超能力系の5つに大別される。

その中でも、健康と超能力系に関するスピは危険度が高いので特に近づかないことが大事だ。

仮説

スピリチュアル業界が成り立っている理由は、需要と供給のバランスがとれているからだ。

つまり、スピのサービスを提供する側だけの功罪ではなく、安易な方法で自分の悩みや不安を解消しようとする私たちの側にも大きな責任がある。

お互い様ということだ。

本来は、正しい宗教が人生とは何かを導いてくれることが望ましいのだが、宗教がその機能を果たせていないことも根本的な原因でもある。

なにせ、この世は”苦”の世界なのだから苦しいのだ。だから救われたいと思うのは無理もない。

生きていくこと自体が大変だし、万人が老い、病気をし、やがて死を迎えるのがこの世なのだ。

その万人を救おうとするスピもその志は良いことだが、いかんせん内容が貧弱でありウソであることが問題なのだ。

霊性の暗黒時代である現代では、スピには安易に近づかなことが唯一の防護策となる。

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