スピを求める気持ちはなくならない

概要

スピリチュアルはウソが多いから近づかないようにしよう。という提案をしているが、そう簡単にそうですか、わかりました。という気持ちにはなれないのではないでしょうか?(笑)

その通りです。単にスピとさよならすることは中々むずかしいです。

そのことについて述べてみます。

現状

そもそも、スピを求める動悸は、人生に起こる様々な悩みや不満や障害などを何とかしようとすることにある。

一方で、人生の問題は決してなくならないし、簡単に解決もしないことも事実。

したがって、どうしても何か救いの手を探すことになってしまうからスピの世界を彷徨うことになる。

これは、心情として仕方がないことだし、無理もないと言える。

では、スピとおさらばするなんてできっこないということか?

そう、実はそう簡単ではない。

スピに一端囚われると麻薬と同じように厳しい現実だが中々抜け出せないのだ。

うわさやネットで、こんな能力を持った人がいる、こんな奇跡があったと聞けば気になってしまうのだ。

では、どうすればよいのか。

事実

どうしても気になるスピがあれば、ネット上や書籍でその内容を読む程度は構わないだろう。

無理に一切のスピから離れる必要はないし、そもそも心理的にむずかしい。

ただし、最後の一線は超えないようにする。それは、会員になったり組織団体と深く関わることを避ければよいと思う。

文字ずらだけの情報は、いずれ忘れるし、そのうち興味を失せる。

費用も書籍代だけはかかるがそんなに高価なものでもない。

そうしていくうちに、色々なスピのおかしなところも見えてくる。

仮説

人の気持ちやその人の傾向は、そう簡単に変わるものではないから、何事も無理は続かない。

ただ、解決策をスピだけに求めるのではなく、もっと視野を広げればいくらでも現実的な方法もあるのだ。

要するに、スピだけに一途にならなければよいのである。

そして、完全にスピを断ち切ることができなくても良いくらいの気持ちを持っているとかえってスピへの興味がだんだんなくなっていくと思う。

気楽に行きましょう。

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