概要
この世(宇宙)がある。
人類という社会が存在している。
その原因は何か?存在理由は何なのか?
という疑問は人類発祥とともに、人類が常に問い続けた根源的な問いである。
しかし、スピではこの回答としてひどいウソが多いので皆さんに訴えたい。
現状
最もこの疑問が動機となっている自然科学分野が、天文学や生命の起源論だろう。
なぜ、宇宙が生まれ、生命が生まれ、やがて人間が現れ今の人類社会が生まれたのか?
自然科学は、その自らのルールに従って今も探究を進めている。
さて、スピリチュアルではどうだろうか。
まあ、様々な珍説はあるが概ね、この世は素晴らしいもの、人の魂を進化させる修行の場というのが一般的な大前提である。
世界の戦争も飢餓も残酷なジェノサイドもすべて進化のためと言うわけだ。
というよりも、あまりこの世の現実には目を向けない、無視しているというのが本当だ。
多くの人があまねく経験するであろう色々な障害(人間関係、事故、病気等)が人の魂を成長させるというスタンスである。
極端な例かも知れないが、戦争による一般市民が亡くなっていく現実が本当に人の成長や進化と関係あるのだろうか?例えば、広島や長崎の原爆で亡くなった人達は、それで何かを学ぶのだろうか?
どうしても、別次元の問題だと思えてならないのだ。
どうして、人はそんな過酷なことを経験する必要性があるのだろうかと。
戦争や、ジェノサイドは、この世の非情で残酷な現実であり、何の糧も価値も無いものとしか思えないのである。
事実
スピは、世界やこの世の大きな矛盾や悪に対してはあえて見ぬふりをしており、答えを持っていない。
身近な悩み事や利益にフォーカスをあて、ああだこうだと言っているだけにすぎない。
そもそも、スピがこんな大テーマに対応できるわけがないのだ。
自然科学では、一言でいうと、この世は自然発生的に生まれたものということになる。
宇宙も自然に生まれ、太陽系、地球、生命、そして人類まですべて自然の連鎖によって生まれたというのだ。つまり、この世が存在する意図的な理由はないということだ。
自然科学では、存在理由よりもむしろ、私たちはどこから来て将来どうなるのか?ということに興味があるのだ。
しかし、私たちの心の中にはなぜ、この世があるのか?という根源的な問いが生まれるのはなぜなのだろうか?
仮説
本ブログの記事「地球は悲惨な星だった?」で紹介した「エイリアン・インタビュー」では、地球は他の文明で不要になった生命体(アンタッチャブル)の牢獄惑星だと言っている。
もちろん、真偽のほどは確かめようがないが今のところ個人的には最も興味を示している仮説である。
牢獄とは入ってしまうと中々抜け出せないものだ。
地球上での輪廻転生も何度も何度も地球上に生まれてくるため、地球から抜け出せない点ではまさしく牢獄と似ているからである。
おもしろいのは、私たちが牢獄に入る人は悪い人、犯罪者だが、それだけでなく進化した文明にとっては優秀な科学者や偉大なクリエーターはもはや不要で価値がないため、地球に送られてくると言う点である。
つまり、進化を極めた文明にとって、科学者や芸術家は不要であるというのだ。
うーん、ここまでくるとさすがに理解できないのだが、抜け出せない世界という意味では何らかの牢獄の役割は果たしているように思えるのである。
ゴーダマ仏陀は悟りの中で、そのことに気付き、脱出することがすなわち輪廻転生からの解脱だと気がついたのではないだろうか?
つまり、ゴーダマ仏陀やインドの聖者たちは脱獄者なのだ!
以上、私の戯言に付き合ってくれてありがとう(笑)
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