概要
宗教、スピリチュアルに従事している職業の方々は、大変な仕事についていると思う。
それは、その系統の暗黒時代の現代であるその教えがウソであったらと思うからである。
神、あの世、霊、生まれ変わりなどについて自分たちの教義(世界観)が正しいという前提で人々を導いているが、その内容がウソかも知れない可能性がある。
その場合、彼らはどのようなカルマを背負うことになるのか?と思うと大きなリスクを伴う職業と思う次第である。
現状
宗教、思想、およびスピリチュアルでもなんでも、その内容は様々であり自由(少なくとも日本では)であるが、その内容が一様でないばかりかそれぞれ異なっているのだ。
一神教の教えがあれば、多神教という教えもある。
無神教の教えもある。
多種多様な宗教やスピから何を信じるかは選択の自由があるが、教える側の立場の人間は選択の余地はない。もうその教えと一蓮托生なわけだ。
もちろん、例外もあるが宗教、思想、スピのマスターになればほぼ一生をその世界を全うすることになる。
事実
ここで明白な事実を示そう。
それは、真実は一つという前提だが、このような多用な教えがある中、99%は実はウソ、あるいは間違ったものであるということだ。
なせなら、真理は1つに対して、無数の異なる教えが存在しているためだ。
それぞれのマスター達は、我こそ真実だという信念のもとに人々を導こうとしているその心意気は尊重するが、実は間違いだったという結論になる可能性は限りなく高い。
割に合わない職業なのだ。
もし、間違った教えで多くの人々を導くことになることになれば、やはりタダではすまないだろう。
いつか(今世だけでなく・・・)はその現実に直面し、深い後悔や自責の念に苛まれるやも知れないのだ。
仮説
そうゆう意味で、本当に宗教、思想、スピリチュアルの導師たちには同情する。
彼らは、もしかするとウソかもしれない教義に自分の人生をかけているのだ(もちろん、心底信じているからこそそんな気持ちは微塵もないだろうが)
その点、一般の私たちは幸せである。
一時、あるスピにハマってもいつでもやめることはできるし、そもそも最初からスピに近づかないことができる。
仮にスピにハマってもそれは自己責任であり、他人を巻き込むこともない(勧誘する場合は別だが・・・)
したがって、スピを彷徨う人達は、彼らマスターに比べればまだまだ安全地帯にいるのだというお話しでした(笑)
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