概要
ヨーガは古代インドで発祥した、悟りに至るための修行法のことである。仏教よりも歴史は古い。
ここで言う、ヨーガは巷のフィットネスヨガとは全く関係がないことを明記しておく。
確かに、フィットネスヨガはヨーガの一部を元にしているが、体の健康を目的としており、悟りを求めるヨーガとは別物である。
悟りを求めるヨーガはチャネリング的な要素はなく、あくまで自己探求であり仏教とよく似ている。ゴーダマ仏陀も当時のヨーガの修行から入った伝承があるから当然かもしれない。
ここでは、ヨーガの香りに触れただけの私が ヨーガから ”さよなら” するのは後ろ髪引かれる思いを感じたヨーガについての個人的印象を紹介する。
現状
中国四千年どころではない、発祥時期がよくわからない程の歴史あるヨーガだが日本では、ほとんと浸透していない。
ヨーガはヒンドゥー教や仏教系の宗教の修行方法として登場するが、ヨーガはあくまで宗教とは独立したものであり、宗教そのものではない。
そのため、国内にはヨーガに関連する団体は、仏教やキリスト教系の新興宗教の組織に比べれば極端に少ない。
関連書籍もよほど大きな本屋(大手書店の本店のような)でなければ置いていない。皆さんも街中でヨーガ系かな?と思われるような建屋や看板を見たことがないだろう。
ではなぜ、ヨーガは日本では超マイナーな存在なのだろうか?
事実
一言でいうと、ヨーガは難解すぎるということだ。
ヨーガの本をざっくり読んだだけで難解というにはヨーガ関係者には申し訳ないが、実際に読めばわかる!といいたい。
まず、日本語訳にも問題があり(と思うが)大変わかりにくいのだ。
次に日本語を理解しても何を言わんとしているかがむずかしい。専門用語が至る所に出てくることも助長している(脚注はあるが、脚注の説明を読んでも、わからないことがほとんど)
そして最大の理由は、聖者はこの世的な感覚ではなく、ストレートに悟りを語るから難解な語りになっているのことが原因ではないかと推測する。
それだけに、ヨーガの聖者が語るものには何か奥深い真実があるように感じるのだが、聖者の語録を読んで理解できる人ってほとんどいないと思う。
ディフォルメした分かりやすい例としては、「A=B かつ A≠B」というような語録が多いのである。
仮説
ヨーガと縁があっても難解かつ適切な指導者が身近にいないため、ヨーガから離れてしまう人が多いと思う。
分かり易く解説してくれるヨーガの指導者の登場を待望するところだが、ヨーガの基本は瞑想修行のため、自己流の瞑想修行によって危険を伴う可能性がある。
下手な指導者が登場して、多くの被害者を生み出すのもごめんだ。
ヨーガは難解のため敷居が高く、ほとんどの人がついてこれないことが皮肉にも瞑想の危険な領域から適度な防波堤になっている面もあるのかも知れない。
コメント
[…] この思想は、ヨーガでは悟りの概念に近い。ヨーガは難しい(「難解なヨーガ」参照)ので、私ごときがヨーガを説明することはできない。 […]