概要
ヨーガの教えは難しい。
理由は色々あるが、本記事では難しい理由はさておき、断片的に得た知識を紹介する。
何かのヒントになればと思う。
現状
仏教では、「諸行無常」といってこの世界は全て原因と結果の連鎖によって変化するという思想がある。
常に変化するとは、
- 同一のものは無い、すなわち仮想のものである可能性がある
- 原因と結果が連鎖するということは始まりも終わりもなく永遠に変化するということ
- 実在するものはあるのか?少なくとも変化するものを実在とは言えない
とすると、この世界は仮想現実である可能性が高い。
まさに、映画「マトリックス」の発想である。
では、実在はあるのか?それとも無いのか?
この疑問に対して、ヨーガは「実在はある」と言っていると思う。
その実在こそが、「意識」ではないか。
どんなときでも、人は意識をもって活動している。
寝ているときは、夢で世界を見る。
目覚めているときは、当然この世の世界を見るが、この世は常に変化しているのだ。
つまり、この世も実在ではないのかも知れない。
しかし、見ている観望者=意識があるからこそ “見る” のではないか。
その意識が、変化しない実在ではないのか。
ヨーガはその意識=実在に気づくことを悟ることだと言っていると思う。
事実
物理的な観点から見ても、私たちは五感で世界を認識するが、光、音、匂い、味、感覚ともに全て信号をキャッチして間接的に脳で映像化したり感じている。
実際に目のまえにあるリンゴは、光を感知して認識するが、厳密にいえば過去の情報であり幻である。
その他の感覚も全て同じ過去の情報である。
その典型が天体観測だ。光の速度が遅いために常に過去数十分から何億年もの過去の天体を同時に見ている。
結局、私たちはすべて過去の幻を認識して生活しているのである。
ヨーガや神秘学の例えでよく説明される “映画を見ている” のと同じなのだ。
仮説
寝ているときの夢はもちろん幻だと誰もが認めるが、実は目覚めて認識している世界も実は幻なのかも知れない。つまり、この世界に実在はない。
実在とは実は意識ではないか?
では意識とは何か?意識は変化しないのか?
このテーマは別の記事で紹介する。
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