概要
瞑想法には様々なものが紹介されているが、共通点は呼吸の仕方に注目している点である。
その理由について考えてみた。
現状
瞑想の源流はヨーガだと思っている。
ヨーガは呼吸法について色々な方法を指南しているが、その目的は心の制御である。
心を落ちつかせるための最も容易な方法が呼吸なのである。
話は横道にそれるが、人間は手足など自分の意思で動かすことができる神経系と、自分の意思でコントロールできない内臓などの働きを制御している自律神経系とに分かれる。
緊張したり興奮したりすると心臓の鼓動が早くなったりするのは自分でどうしようすることができない。
呼吸も普段は吸う・吐くを意識しないで行っているから自律神経が制御しているが、意識的に呼吸を思い通りに行うこともできる。
呼吸は、唯一意思と自動制御の両方で操作できる器官なのだ。
緊張すると知らないうちに息が早くなったりする。
これは、心が緊張することで呼吸が早くなったわけだ。
逆に、自分の意思で呼吸をゆっくりと行えば、心は落ち着く。
つまり、呼吸と心は繋がっており、お互いに影響し合うのである。
瞑想法は、この原理を利用して呼吸を制御することで心をコントロールしようとする。
もし、意思の力で心臓の鼓動を変えられたら、ヨーガでも心臓の鼓動をゆっくりするという手法が取り入れられただろう。
事実
瞑想は呼吸が大事な要素だということがわかっていただけただろう。
しかし、スピリチュアルの瞑想法の種類だけ呼吸法があり、なぜこんなに様々な呼吸法が乱立しているのだろうか。
本当は、スピリチュアルの誰もが正しい呼吸法を知らない(わからない)からである。
本ブログでは度々言うことであるが、本当のことがわからないからこそ、いろいろな説が氾濫するのである。
仮説
多くの瞑想法の異なる呼吸法においても、概ね共通していることがある。
それは、普段よりもゆっくりと呼吸するということである。
その呼吸の仕方として、鼻から吸って口からはくとか、数を数えるとか、息を止めるなど細々した違いはあるが、本質的なものではないように思う。
原理に立ち戻って、
- 心が落ち着けば呼吸はおだやかになる
- 呼吸をおだやかにすれば心が落ち着く
これさえ、間違えなければ呼吸法は正しく効果を発揮するのではないかと思う。
あまり、小手先のテクニックに惑わされないことをおすすめする。
それよりも、瞑想は心を落ち着けた後のその先が奥深く、謎に満ちた未知の領域であり、危険でもあり、すばらしい悟りに達する道でもある。
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