概要
瞑想は悟りのための必須アイテムのようなものだ。
世界中で多くの人が瞑想をしている。
もちろん、健康維持のようなストレッチ的な瞑想から、修行僧が行う本格的なものまでレベルは様々だ。
でも、不思議に思わないだろうか?これだけ瞑想が普及していおり実践者が大勢いるにも関わらず、悟った人を見たり聞いたりすることがないことを。
このような現実から推測するに、実は瞑想をしても悟ることはほぼ不可能なのではないかと思うのである。
現状
瞑想教室、たくさんあるよね。
もちろん、仏教系の宗教では瞑想は当たり前の修行法だ。本ブログは世界宗教は扱わない約束なので触れないが、もし世界宗教の修行者で悟った人がいるなら是非名乗り出て、私たちを指導してほしいものだ。
ましてや、スピリチュアルの様々な瞑想を教えているマスターたちがその瞑想法でどこまで悟りに達しているのだろうか。
スピリチュアルの瞑想教室に通っている、あるいは通信教育を受けている受講生はその瞑想法でどれだけ変わったのかもよくわからない。
事実
瞑想法を実践した受講生の体験談やコメントで、「悟ることができた!」というものは皆無だ。
おしなべて、心が落ち着いた感じがする、おだやかな性格になった気がする、といったようなものばかりである。
瞑想はある程度集中的に行った方がよいという説もあり、合宿形式で一定期間集中して瞑想する手法もあるが、その経験談は特に瞑想前と後で大きな違いはないと言っている。
そもそも、瞑想で悟ることができるならば、世界はとっくに悟った人だらけになっているだろう。
むしろ、瞑想の応用として医学の精神領域でも治療法として取り入れられている(実際にマインドフルネスや自律神経調整法などの瞑想に近い治療法は実在している)
だから瞑想は、精神疾患にはある程度有効なのかもしれない。
仮説
瞑想をしても我々一般の人間は悟ることはできない。と、と、断言してもいいだろう。
それでも瞑想をやる意味はどこにあるのか?
それは、せいぜい心を落ち着かせる効果を期待する程度だ。
事実、私は瞑想で心が落ち着く効果は何度も経験している。
本当の瞑想は、ヨーガの聖人達が行う瞑想だが、それは難しく危険で、奥が深すぎて我々には手の届かないものだ。
そのヨーガの瞑想により悟ったヨーガの聖者と言われる人が誕生するのは歴史的にも非常に稀なのである。
スピリチュアルの瞑想法は、せいぜい「リラックス法」という表現が適切だと思う。
皆さんも、その程度の期待感で瞑想ではなくリラックス法を行えば危険もないし独自で実践しても問題ないだろう。
ともかく、スピで紹介されている瞑想法を独力で行うことはやめておいた方がよい。
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