概要
スピリチュアルの世界では分野を問わず、ほとんどはこの世の存在理由は人間の魂を進化させるためにある有意義なものと説明している。
その一方で生まれ変わりを何百回も繰り返しているという話も多い。
人間の進化のために人生を何百回も繰り返してもまだ足りないのか?
本記事は、そんな疑問をもったのがきっかけでこの世の存在について見直してみようという試みだ。
現状
ゴーダマ仏陀が言うにはこの世は “苦” なりと喝破しているように、苦界なのだ。
苦しい世界に生まれて苦楽を経験することで人は進化をする説。たしかにそうかも知れない。
皆さん、人生は確かに苦しいこと楽しいこと色々あるが、結構100年足らずだが大変だと思わないか?
それを数回や数十回ではなく、何百回も経験しているというのだ。
もし、これからも終わりなく生まれ変わり続けるならば、それは永遠に苦しみを意味するのではないか?
事実
スピリチュアルにおけるこの世の説明に物足りなさを感じるのは以下の通り。
- 魂の進化の定義が明確でない(単に進化という言葉を使っているだけ)
- 一方で生まれ変わっても何度も人生を失敗することが多いという。であれば必ずしも進化するとは限らないということになる矛盾
- どのくらい生まれ変わればどのように進化するのかという長期的なモデルが一切ない
- 体験談にはせいぜい1世代前、あるいは数世代前の過去世と現在を比較するものしかない(長期的な進化したモデルケースがない)
仮説
人の精神の進化とはなんだろうか?(生物学的な身体の進化(変化)ではなく)
それが全く明確でないのだ。
凡人の思いではあるが、今世の1回限りの人生を普通に経験しただけでも十分に人並の苦楽を経験し、大いに学ぶことがあると思う。
その蓄積された貴重な体験を、生まれ変わりときには忘却してしまって、また同じような人生を繰り返す。そこに本当に進化なんてあるのだろうか?
科学でも数学でも必ず概念には明確な定義がなされてものごとを考察していくものだ。
スピリチュアルは、魂の進化だけでなく、潜在意識や愛などの色々なキーワードを駆使して話を展開するがどの概念にも明確な定義がないのだ。
そんなスピリチュアルの発想に愛想をつかしてしまったのだ。
ほんとうに、ゴーダマ仏陀やイエスから直接話を聞けた当時の人達がうらやましい。
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