概要
宗教は、人類の歴史とともに常に存在してきた。
だから、人類が存在する限りこれからも無くならないだろう。
そしてスピリチュアルは、宗教の一種だとしてもあながち間違いではないと思う。
スピリチュアルは、時代によって個々栄枯盛衰はあるけれど姿形を変えていつの時代にもあり続けるだろう。
だから人は、いつの時代も誰もが何らかの宗教に囲まれ、またはスピリチュアルに触れる人生を送るのである。
想像以上に宗教とスピリチュアルが人の人生に大きな影響やウエイトを占めているのだ。
そんな宗教とスピリチュアルだらけの世界でどのように生きていくべきかは誰にも当てはまる重要なテーマだ。
なお、世界宗教については、本ブログのポリシーに従って触れない。
また、新興宗教についても、信者の意思を尊重し本記事では触れないこととする。
現状
日本人であれば、冠婚葬祭などにはほとんどが何らかの宗教が関与しており、生活に密着している。
クリスチャンも、キリスト教の慣習が生活に密着している。
そして、かつての私も含め実は多くの人が隠れスピリチュアル信者なのである。
なぜ、”隠れ”なのか?スピリチュアルは一般には”トンデモ”扱いされているから。
バレると白い目で見られるからね(スピを家族に内緒にすることはよくあることだ)
もちろん、無神論者・無宗教・現実主義を公言する人はいるが、何かを信じているものだ。
それは、経済理論であったり、科学主義かも知れない。
人は精神的な基本理念を持たないと生きられないのだ。
では、私が半世紀付き合ってきたスピリチュアルの現状はどうなのか?
それは、That’sエンターテイメントであるということだ。
事実
スピリチュアルは下手な映画やSFよりよっぽどおもしろい。
だからこそ私は、たくさんの動画や書籍を山のように視たり、読んだりできたのだ(過去形に注意(笑))
宇宙人や個性的な霊たち、お手軽なエクササイズが登場するスピリチュアルはまさにお楽しみどころ満載である。
ところが、エンターテイメントでありながら、宗教的な内容が色濃いため信者となってしまう人達も多い。
仮説
私たちは宗教・新興宗教だけでも大忙しだ。さらにスピリチュアルにまで束縛される筋合いはない。
したがって、スピリチュアルは楽しむものと割り切って、のめり込まないことが大事である。
スピリチュアルにのめり込むと、知らぬ間にスピリチュアルの思想に支配されコントロールされてしまうからだ。
日常の悩みや苦しみの解決をスピリチュアルに求めなくても、
- 自分を大切にする
- 家族や近しい人を思いやる
- 平凡な生活、健康な暮らしに感謝する
を心掛けて生活していれば、平凡だが十分幸せだと思うのだ。
なお、波乱万丈な人生や病気で苦しんでいる人がスピリチュアルに救いを求めることはやむを得ないが、気を付けてほしいと願う。ますます悪くならないように。。。
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