スピは見えない世界をネタにするから何でもありなのだ

概要

スピリチュアルが扱うものは大まかに言うと目に見えない、聞こえない、感じられないものを扱う。

そして、スピマスターだけが見えて、聞こえて、感じることができるのだ(本当に?)

この大原則をあらためて目のあたりにすれば、スピが何でもありの世界ということがわかるだろう。

現状

普通の人が見えないものが見えるというスピマスターがいるから人は、安易に信じてしまう。

普通の人が聞こえないものが聞こえるというスピマスターがいるから人は、憧れてしまう。

普通の人が感じられないものが感じることができるというスピマスターがいるから人は惹きつけられる。

要するに、私たちが感知できないものを感知できるとする、スピマスターが物語る世界がスピリチュアルなのだ。

スピマスターを信じてしまう私たちは何を根拠に信じてしまうのだろうか?

それは、自分のフィーリングに合うかどうかだけなのだ。

なぜなら、決して私たちが見たり、聞いたり、感じることができないからだ。

事実

現代はネットで買い物をする時代なので、メーカーものの既製品はネットで買う場合が多いが、生鮮食品は、スーパーで実際に見て、触って買うだろう。

ネットで買ったものでも、実際に届けられるので最終的には見て、触ることになる。

一方、スピの商品(敢えてそうゆう)は最初から最後まで空想の産物なのだ。

※御守やお札は目に見えるが、ここではそれに宿るとされる霊的なものを意味していることに注意

こうしてあらためて認識すると、スピの世界は妄想の世界とどこが違うのだろう?

仮説

おそらく、見えない、聞こえない、感じられないことが神聖さ生み出すのでかえって、その方が功を奏してスピが繁栄しているのだろう。

信じる、信じないは個人の自由だ。

信じることで幸せを感じる人が沢山いることも事実だから、一概にすべてが悪いものではない。

要するに、確率の問題だ。

ネタが絶対にバレないものにすがってどの位の成功率を望めるか?

真実で真っ当なものに出会う確率は低いと見るべきだ。

なぜなら、見えない、聞こえない、感じられないものは、裏をとられることがないから自浄作用が働かないためだ。

スピマスターはあくまで善意で行っているだろう。しかし所詮は空想と同じだからどんなことでも言えてしまうので、知らぬ間にウソをならべてしまう可能性が高いということだ。

スピはあくまで空想豊かなエンターテインメントなのだ。

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