概要
スピリチュアルとは本来、霊的、精神的なことを扱う分野だ。
だが、巷のスピは、ほとんどが欲望や利益を満たしますというものが多い。
ここに、スピリチュアルの本来の意味と現実とのギャップが生じているのではないか?
現状
スピでは確かに霊的なことは得意としている。
守護霊、ハイヤーセルフ、ツインソール、宇宙人?等々・・・。
とはいえ、それらが言葉として登場するだけで、その実体や根拠は希薄であり各スピマスターが手前勝手なことを言うだけのため、それらに一貫性や共通性はない(仮に共通性があってもパクリであることがほとんどである)
そして、霊的なことを背景にして結局は、だれもが心に持っている欲望や現世利益が叶うという結論に帰着している。
もっとも、そうでなければ人は集まらないからだ。
冷静にスピのご利益?を見まわしてほしい。
お金に困らなくなる、
人間関係がよくなる、
健康になる、
受験で合格する
など、神社やお寺で販売している各種御守と同じである。
本来、スピは宗教程まででなくとも、人の精神性の向上を図ることが本来の目的のはずだと思うのだが。
事実
ゴーダマ仏陀が言うように、欲望は満たされることはない。これは事実だ。
そんなことはないよ!お金が入れば幸せに思うはず。と私もそう思い込んでいた。
が実際に経済的に問題がなくなっても、ほんの一時は安心したがその幸せ感はすぐになくなり、今度は今の状態が壊れる不安に苛まれることを経験した。
ある人との人間関係がよくなっても、必ず他の人との間ではうまくいかなくなる(そりゃ、自分もかわらないし、人も様々だから当たり前なのだ)
病気が治れば幸せだが、それも一時である。そもそも人は老いていくので早かれ遅かれ肉体の不具合と付き合って生きていくことになっている。
つまり、永遠の健康などあり得ないのだ。むしろ不健康なことが普通なのかも知れない。
以上は、還暦を過ぎた個人的な体験によるものだが、多くの人は老いを感じ始める年ごろになれば大なり小なり同じことに気付くことになると思う。
つまり、欲望や現世利益を求めることに安寧はないし、幸せになることでもないのだ。
しかし、スピではその逆を標榜し人を集め、お金を集めている。
すなわち、巷のスピはスピリチュアルではないということだ。
仮説
スピも所詮、需要と供給の関係で成り立っている。
欲望を現世利益を求める需要があるから、その供給側としてスピがある。
その結果、需要を満たすことができれば問題はない。
しかし、それは在り得ないのだ。そもそもその終着点が間違っているから、絶対に幸せにはなれない。
もっと酷いのは、欲望や現世利益を満たすことすらままならないのが巷のスピの現実だ。
このような、スピに何の魅力があるというのだろうか。
少なくとも、スピと関わらないことがせめてもの対処法だろう。
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