スピリチュアルを彷徨う人達へ

概要

ネットで検索したり、書店の精神世界コーナーに立ち寄っては色々な本を買ってみたりしているスピを彷徨う人達にメッセージを送りたい。

私もかつてそうだった。

色々なスピに出会う度に一時の安堵や平安を得られることは事実だ。

だから、スピ大好きの人の気持ちはよ~くわかる。

こんな私だったからこそ、メッセージを送ることができると思う。

現状

私が20歳前後の時代(1980年前後)は、ネットもなく書籍だけが唯一の情報源だった。

書店に行くと、宗教コーナーか精神世界のコーナーに行き溢れる書籍を漁る。

そして、そのときの自分のフィーリングに合ったものを手に取るのである。

気が付けば、自分の本棚にはスピ系の本が山のように溜まっていく。

一時は、新興宗教にも関わった時期もある。その時期には宗教団体が出す書籍は全て買い込んだ。

そして、10年、20年と時が経っていくが、自分という人間は少しも変わらない。

人並に人間関係で悩み、病気をし、お金のことで悩む毎日であった。

人のことなど構っていられない。

そのうち、気が付けば還暦を迎え衰えた身体に気が付き愕然とする。

それでも、スピの本を読んでは瞑想をしたり、訓練もどきの真似事をしたりしていた。

一時は心が癒されるが数カ月もするとすぐに飽きてしまって、また別のスピを探しにいくのだ。

事実

現状に書いたようなことは、自分は結構変り者と思っていたが、ネット時代になり私のようなスピリチュアルを彷徨う人は実に多くいることを知った。

皆さん同じように、日々の生活に悩み幸せになりたくてスピにはまってしまう。

そうゆう意味では、今の日本(特に平成の30年間)は決してよい社会とは言えなかったのかも知れない。

とにかく、自分と同じ境遇の人が昔も今も沢山いることを知って、少しでもスピの虚しさを知ってもらいたくてこのブログを綴っている。

仮説

スピ大好きな人達は、スピとサヨナラしようと言われても納得いかないだろう。

個人の自由を尊重するから、思い通り生きてほしい。

ただ、50年間もスピに彷徨い、気が付けば還暦を迎えた虚しい一個人もいることを知ってもらえればいい。

私は、今は本屋に行くこともなくなり、ネットでスピを検索することもなくなった。

そのかわり、自分の当たり前の時間を大切にしている。

家族との語らい、今日、何事もなく生きていることの感謝、いいことだけでなく、好ましくないことも含め日々起こること全てを素直に受け入れる。そしてこだわらない。

その方がよほど、平安な毎日を送れることに気が付いた。

少なくとも、スピに関する余計な出費と時間を節約できることは間違いない(笑)

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