概要
スピリチュアルの世界は別の表現をすると目に見えない世界を扱うことが多い。
この目に見えない世界を人は何故容易に信じてしまうのか。
その理由を考えてみた。
現状
霊、気、オーラなど、スピではお馴染みのものだが、人間には見えない。
見える人(自称含め)もいるが、科学のように客観的な検証ができないので見えないということにする。
さて、見えない霊は、愛や神について語る。これまた、見ないものを語るのだ。
私たちは、見えないものでも実際にあると思い込んでいるものは沢山ある。
たとえば、愛には家族愛、男女愛など実際に心情的な実在感がある。
だから、暗に見えないが実在するものはあると確信しているのだ。
事実
私たちは、心情的に関連することについては、目えなくても同様に存在すると信じてしまうのだ。
子供に対する親の愛情はわかる。すると神の人間に対する愛も親の愛情のようなものかな?と安易に連想していまうため、容易に信じてしまうのだ。
このように、スピリチュアルで語られる様々なことは、私たちの日常において普遍的な感情や心情に紐付けているのである。
仮説
目に見えないものは、各個人が如何様にも想像、空想できる。
これが、また安易に信じてしまうカラクリの1つでもある。
むしろ、これが神です。これが守護霊です。と目にモノ見せられた方が自分のイメージと違えば、胡散臭いと感じ信じられなくなるだろう。
人はこのように、一見見えるものは信じる事ができ、見えないものは信じられないと思っているが、意外とそう単純ではないのだ。
スピは、見えないものを巧みに信じやすいようなテクニックを使って人をだましているのである。
ここでその細かなテクニックを並べるつもりはないが、簡単に言えば、個人が勝手に理想とするイマジネーションとうまく結びつけるという技術を使っていると言える。
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