スピを彷徨う理由

概要

スピはほとんどウソである事実。

つまり、スピを彷徨うスピ大好き人間は「だまされ、それに気付く」ことを繰り返すカルマを持っているということだ。

私がそうであったから、スピファンの皆さんには少しでも早い時期に気付いて欲しいから訴えているのである。

現状

あるスピを信じては離れ、また別のスピにハマっていく。

なぜ、スピファンは凝りもせずこのことを繰り返すのか?

スピに興味がない人にはわからないだろう。

理由は、信じたりハマっている間だけは至福を体験するからだ。

ある意味、一度味を占めたら忘れられないという麻薬のようなものである。

そうなると、いつも何らかのスピに依存していないと人生が空虚になってしまう。

だが、いつかはスピの化けの皮がはがれ、そのときのショックや虚しさもまた大きく、それを癒してくれそうな別のスピを求めるようになる。

あるスピを信じている期間が数カ月から数年はまだマシな方だ。

何十年も信じていたものが実は虚構だったと知ったときのダメージは一生モノといっても大げさではない。

まあ、そうゆうわけで、

「普通の人生やめますか?スピやめますか?」という標語が当てはまるのである(笑)

事実

スピを彷徨う人口数はいかほどだろうか?だれもそんな調査を行っていないから想像もつかないが、日本国内だけでも、相当の割合でいるのではないか?

ハマり度合も幅広く、どっぷり型から何となく日常生活の中で習慣化している軽いものまであるのでスピファンという境界線も難しいからそもそもスピファンの人口数を求めることなど不可能かも知れない。

しかし、書店に行けばかなりのスピ本があふれ、スピサイトは個人のブログを含めれば数限りなく公開されているから、スピはもはや特別なものではなく、私たちの身近なものになっていることは間違いない。

さらに言えば、スピなのか新興宗教なのかのボーダーラインもむずかしい。

どちらも、神や霊を扱うからである。

これほど市民権を得ているスピだが、なぜかマスコミでは扱うことがタブー化されているため、あまり目立たないだけである。

現代の日本は問題多き国だが、原則衣食住に困窮している人はそう多くはない。

人は衣食住がある程度足りると心が困窮してしまうのだ。

仮説

本当に役に立つ真のスピであれば問題はないのである。

人は心を癒してくれるものが必要だ。だからスピを求める。

しかし、何の規制も制度も監視機構もないスピの世界にウソが蔓延するのは当然といえる。

別の記事でも触れたが、スピリチュアルを求めること自体は決して悪いことではない。むしろ人間の神聖な部分の一面だと思っている。

だから、神秘なものに憧れたり求めたりする動機は決して否定するつもりはない。

残念ながら、それを待ち構えているスピはウソと虚構だらけだということをしっかりと認識しておくことが大事だということだ。

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