スピリチュアルは根源的な問いに答えられない

概要

スピリチュアルは、愛だとか、ソールメイトだとか、癒し等のキーワードで人々を誘っているが、人生の基本中の基本的な疑問には何一つ答えを持っていない。

というより、触れようとしない。

そんな現実の一例を示す。

現状

毎日のニュースを見ていると、本当にこの世は苦だと思い知らせるような暗い、悲惨な話ばかりだ。

10年前の東北大震災のメモリー的な番組や報道が3月11日前後はオンパレードである。

人の不幸で、私たちの幸せを再認識させるといううがった見方をするのは私だけだろうか・・・。

そもそも、災害は不定期にやってくる。事故についてはは日常茶飯事だ。

そして、災害で亡くなる方や、残された家族の悲しみを見せつけられるのだが、なぜ災害で亡くなる人とそうでない人がいるのか?

日々、悲惨な交通事故でなくなる人々も、なぜ交通事故に会う人と会わない人がいるのか?

毎日、社会において当たり前のように発生しているこのような災害や事故そのものは一定の割合で発生するのは仕方ないだろう。

しかし、なぜそれに巻き込まれる人とそうでない人がいるのか?

スピリチュアルは、そうした疑問には一切触れないし、説明もできないでいる。

事実

スピリチュアルは、ハッキリ言って現実の苦からあえて目を反らし、お花畑の世界を標榜するレベルなのだ。

もっと言えば、なぜこの世が存在するのか?なぜ私たちは生まれてくるのか?なぜ動物や人間などに生まれてくるその違いは何なのか?

そうしたことにスピリチュアルは、一切何も答えを持っていない。

もっとも、現代の宗教も同じことが言えるが・・・。

でも、私たちは本当はそうした根本的な疑問についての正しい回答を知る権利があるのではないか。

しかし残念なことに、そうしたこと教えてくれる偉人も聖者もいないのが現実なのだ。

仮説

宇宙や生命の起源については盛んに研究されているが、人の好奇心を満たすことはできるが人の幸せには何の役にも立っていない。

人はなぜ、生まれ、老い、病気をし、災害や事故や病気か、そして最後は万人が老衰で死ぬのか?

まさに、ゴーダマ仏陀の四苦(生老病死)に明快な答えを示してくれることを私たちは望んでいるのではないだろうか?

そんな私たちは、いつ四苦から解放されるための真実を知ることができるのか?

本当に、こうしたことを教えてくれる人はいないのだろうか?

やはり、2500年前のゴーダマ仏陀のような人がいる時代でないと無理な話なのだろう。

そうゆう意味では人類はある意味大変憐れな存在なのかも知れない。

少なくとも、スピにうつつを抜かしている暇があれば、せめてそうしたことに思いをはせる方がまだましなような気がする。

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