概要
スピリチュアルとは、本来、精神性を意味してこの世的な利益を求めるものではないはずだ。
それなのに、引き寄せの法則だとか、お金が増えるなど、この世の物欲的な欲望を満たすものが多い。
本末転倒だ。
だからこそ、スピリチュアルとは縁を切った方がいいと思う。
現状
スピの世界では、魂や心の浄化、アセション(覚醒?)などを謳うものが多く、一見して精神性を重視しているようなイメージのものが多い。
しかし、よくよくその中身を見てみると、素晴らしい恋人と巡り合えるとか、お金が舞い込んでくるとか、病気が治るなどの効果(ご利益?)も必ず散りばめられている。
たしかに、私たち凡夫は日々苦労しながら生活しているから魂や心の浄化そのものより、現実的な効果に関心を持ってしまうのは当然の心理だ。
その当然の心理にスピは付け込んで来るのである。
そもそも、スピで恋人ができるならこの世に婚活など発生しないだろう。
スピでお金が入ってくるならこの世に貧困など生まれないだろう。
もし、スピで病気が治るならこの世の病院は閑古鳥が鳴くだろう。
当たり前すぎることだが、この世のものを得るためにはこの世の適切な手法の方がはるかに確実なのだ。
事実
スピの特徴はとにかくお手軽、簡単な方法で幸せになれるという謳い文句であることに気付こう。
書籍や怪しい瞑想法で気分が一時的に至福感を得られることは事実だが、そこまでだ。
実際、色々なスピを試してみて何の効果もない人はたくさんいるはずだ。
そして、効果がなければまた別のスピを試してみる。
スピの世界を彷徨うだけの人になってしまう人がたくさんいるのであるが、本人はそのことに中々気が付くことができない(私は50年も彷徨った!!!(笑))
仮説
人が精神的な向上や世界に興味を持つことは決して悪いことではないし、むしろ素晴らしいことだ。
しかし、その受け皿としてのスピの世界があまりにも情けないということだ。
残念ながら、人類の有史の範囲内では本当に人の本質に迫る真理の教えや手法についての情報はないと言っていい(隠匿されているのだと思う)
したがって、私たちには答えは無いのである。
本屋やWebサイトで簡単に真理に出会うことなどあり得ないのだ。
では、私たちはどうすれば精神的な乾きを癒すことができるのか・・・
いつかはわからないが、2500年前のゴーダマ仏陀のような偉大な導師がこの世に生まれることを待つしかないのだと思う。
それまでは、下手にスピに手を出すより地道に現実を生きる方が得策である。
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