概要
スピにはまってしまっている間、人はつかの間の安堵を得る。
私もその繰り返しであった。
何か新しいスピを見つけては、一時その世界に陶酔する。
その間は、かりそめの幸せになることができるのは事実だ。
スピは私たちをはかない一時のみ癒すものだということを再認識しよう。
現状
スピの放浪者は沢山いる。
なぜ、スピの世界を放浪または彷徨ってしまうのか?
それは、ある一つのスピでは満足できなくなってくるからだ。
効果がないということもある。
そこで、また別の未体験のスピに興味を示す。
スピはネタだけは困らないほど沢山あるから、未体験のスピを見つけるには容易なのだ。
そして、一時の清涼感を得るという繰り返しだ。
あっ、私がそうだ!と思い当たる人はかなりいるはずだ。
その理由は何か?立ち止まって省みるのも悪くないよ。
事実
スピの多くは、カフェでおいしいコーヒーやお茶を飲んでくつろぐようなものだ。
費用もお茶代位たいしたものではない。
しかし、たまにカフェの店内で高価なスイーツを買って食べてみることもある。
そして、それが病みつきになってしばらくそのカフェに通ってしまう。
スピって、カフェに通うこととそう対して違いはない。
一時のくつろぎを得ることはできる。それは否定しない。
だが、ずっとそのカフェにいてお茶を飲み続けることはない。せいぜい1~2時間程度。
そして、そのうちそのカフェにも行かなくなる。
仮説
スピをカフェに例えてみた。
大変、似ているだろう。
スピの内容は一杯のコーヒーやお茶に値すると思っていい。
したがって、カフェを楽しみレベルでスピを楽しむのは別に悪いことではないし、誰にでもあることだからそんなに心配することはない。
だから、ほとんどの人はスピで不幸になったりはしない。
※ただし、ヒーリング系や超能力系はちょっと危ないものもあるから要注意
だが、スピにかける時間とお金の浪費になることだけは間違いない。
約50年もスピを彷徨って私のようになってほしくないのでこのブログを作ったのだ。
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