概要
スピリチュアルではおなじみの
- 見えないもの
- 声だけ聞こえるもの
- イメージだけのもの
は、何の疑いもなく信じられる不思議な世界だ。
この事実が、スピリチュアルの繁栄と氾濫につながっているように思う。
スピリチュアルを無条件で信じてしまう弊害とその対応策について模索してみよう。
現状
スピリチュアル発信者にもちろん悪意はない。むしろ自分の信念のもと人の役に立ちたいと思っている。
だからこそ、スピリチュアルには神秘的な言葉、癒しの言葉、宗教的な言葉に満ち溢れている。
そんな桃源郷を思わせる世界に出会えば、理屈ではなく容易に受け入れてしまうのも無理はない。
そのような提供側と受入れ側の関係によって、スピリチュアルは何でもありの世界になってしまう。
さらに、チェック機能が働かないためにブレーキがきかない。
おかしいなと感じた人達はさっさと離れてしまうだけで、わざわざ正したりはしないからである。
事実
ネット時代の今日では、手元のスマートフォンから少し検索するだけで、魅力あふれるスピリチュアルのホームページと沢山出会うことができる。
一方で、スピリチュアルに対する批判記事も必ずアップされている。
その中には根拠のない酷い誹謗・中傷もあり玉石混合だが、まっとうな批判も存在する。
批判記事の存在によってスピリチュアルに対して多少チェック機構が働くようになっていることは幸いだ。
批判は、誹謗・中傷と同一視されやすく悪いイメージがあるかも知れないがそうではない。
批判はブレーキだ。すべてのおいてアクセルとブレーキはセットで必要なものだ。
批判の良し悪しは各自が判断すればよいのだ。
仮説
スピリチュアルに興味のある皆さんは、広く浅くでよいので、肯定と否定両方の情報をバランスよく入手することをお勧めする。少なくとも、偏った思考を軽減させる効果がある。
しかし、最も重要で意外ではあるが、実は・・・
どんなに情報を入手しても正しい判断することはほぼ不可能ということ。
なぜなら、スピリチュアルがそもそも”未知なるもの”を対象にしているためだ。
例えば、宇宙人からのメッセージをどうやって正しく判断できるというのだろう(笑)
結論としては、スピリチュアルは楽しむ程度に活用し、深入りしないことが肝要だ。
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