スピリチュアルにも良いところはある

概要

本ブログはスピリチュアルからおさらばしようという趣旨のものである。

が、本記事ではあえてスピリチュアルにも認めるべき良い点があることを言っておきたい。

何事も、表と裏というふうに両方の面があるからだ。

現状

人生は、本当に物理的に生まれ、1回切りの人生を様々な苦労と快楽を経て死んでいくだけなのか。

そのように割り切って生きている人も多くいるし、むしろ常識人として扱われる。

日常生活で、精神世界の話題などしないし、公言すると下手すれば変人扱いである。

しかし、多くの人達が唯物論だけでは割り切れない何か奥深い真実があるのではないかと思っているのも事実だ。

その一つのはけ口が宗教なのかも知れない。

しかし、宗教にも文化として生活に溶け込んだものからカルトまで幅広く、宗教も一言では言い切れない程幅広い世界である。

冠婚葬祭などに登場する宗教では心は満たされにくいし、カルトは怖くて近寄れない。

特に日本人にとって宗教は敷居が高いのだ。

事実

スピリチュアルは、そんな心の満たされないものをソフトに満たす受け皿として役に立っている部分は確かにある。

例えば、(信頼性はないが)姓名判断で我が子の名前をつける両親はきっと安心して名前を決めることができて幸せなのだ。

また、人はきっと霊的で精神が主体であるという世界があるかも知れないと思わせるきっかけを与えてくれる。

問題は、どんなスピリチュアルの分野でも、断片的でウソが多いというだけのことだ。

あまり、深入りしなければウソでも一時の心を癒されている人は多くいるし、それで苦しい人生を乗り越えていける一因となれば決して悪いことではない。

しかし一方で、人はどうしても興味を持ったり信じ込んでしまうと深みにハマってしまう。そのときに断片的でウソの内容がその人に悪い影響を与え不幸になっていくのである。

仮説

私は、長い間スピリチュアルに関わったおかげで、多くの宗教やスピリチュアルの世界を概観できるようになったし、きわものや危ないスピリチュアルをある程度嗅ぎ分けることもできるようなったのかも知れない。

そうゆう意味では、スピリチュアルから恩恵を受けた部分はある。

ただし、スピリチュアルでは決して真実を知ることはできないし、悟りとは全く関係のないものだ。

かといって、現代では世界宗教を含め、真理を備えた教えをこの世に見出すことはほとんどできない。

まさに、霊性の暗黒時代なのだ。ゴーダマ仏陀の言う「末法の時代」なのだ。

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