スピの個人差が大きい理由

概要

どんなものにも効果や結果に個人差はある。

その中でも、スピ系では個人差が非常に大きいというのが長年経験した感想である。

特に瞑想系、超能力系の非日常的な現象を伴うといわれるものがそうである。

ちなみに、ヒーリング系のスピは個人差があるとはない。単なる個人の思い込み(プラシーボ効果みたいな)だから問題外としたい(笑)

現状

瞑想や超能力開発のメソッドを謳うスピリチュアルはスピファンならばご存じのように有名なものからマイナーなもの含め多種多様ある。

基本的にほとんどウソが多いというのが私的見解だが、厳密にゆうと白か黒かではなく危険度や効果度などの割合が複雑に絡んでいるというのが実際の姿である。

たとえば、ある瞑想法は危険度はあまりないが、わずかしか効果がないもの、危険度だけ高く、効果がまったくないもの等々。複雑な組み合わせの玉石混合なのだ。

薬の効果にも個人差があるのは常識だが、効果や副作用の程度に差はあるものの、ある一定の効果があるものだ。

それに比べて、スピの場合は同じ方法でも個人によって効果や結果は全く異なる。

ある人は強烈な現象や体験をする一方、何の変化も無い人もいる。

さらなる特徴としては、効果あらわれる絶対数が非常に少ないということである。

要するに、ほとんどの人にとっては効果がないのである。

ごくごくわずかの人にだけ効果があり、それも極端な現象が現れるというのも特徴である。

事実

スピの瞑想や超能力開発のメソッドは汎用性が無いと言うこと。

ごくまれに、効果が出る人がいるがそれはそのメソッドによる効果というより、もともと個人が持っていた潜在能力やある意味病的なものがメソッドがトリガーとなって発動したというのが本当のところだろう。

なので、現象も人によって様々であり、あまり共通性のないのが特徴である。

それをスピでは個人差という理由付けで片付けている。

そんな特異な経験談をスピでは宣伝用として取り上げるわけだが、実際にはほとんどの人は体験できないだろう。

しかし、その正確な実体は調査できないし、スピも当然不利な情報なので公開しないから誰も実体はわからないのである。

仮説

全ての瞑想や超能力開発の方法を否定するわけではない。

中には、良い悪いは別として何らかの効果を生み出すメソッドがあるし、本物もあるだろう。

しかし、瞑想や超能力こそ、個人の素質が大変大きく作用すると感じるのである。

よく、私は平凡な人間だったが、この方法により能力が開花したというような主旨の経験談が多く紹介されるが、それはウソである。

本当に平凡な人間がそう簡単に、瞑想で精神が向上したり超能力を得られるわけがないのだ。

おそらく、過去世において何度も同じような訓練を経験したものでないと効果は表れないというのが私の仮説である。

もちろんこの仮説には何の科学的、理論的な根拠はない。

あくまで個人の体験やスピの世界の人達を観察した結果の仮説であるから無視してもらってよい。

だが、実際に皆さんの身の周りで、聖者や超能力者を見かけることはないと思う。

もし本当に平凡な人間が誰でも悟ったり超能力を得ることができる方法であれば、あちらこちらに聖者と超能力者が存在してもおかしくないはずである。

少なくとも”誰でも簡単に”というスピのフレーズはウソだと思うのだが、皆さんがどう思うかは自由である。

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