概要
スピリチュアルに一部の文化や風習、伝説や神話などを含めれば、宗教と同じく人類の歴史とともに長い歴史があることになる。
長い歴史を積み重ねてきたスピも宗教と同様にあの世や霊、運命とは何かなど本質的な解明にはほど遠い状態である。
要するに、少しもスピは進化しないし今後も進化する兆しはない。
その理由を推測してみた。
現状
「人間は考える葦である」という有名な言葉残したフランスのパスカルの言う通り、人間は考えたり思考する。
その思考は、五感による情報をもとになっている。
つまり、悟りに至った聖者を除き、現存する仏典や聖書や様々なスピリチュアルは人間の思考から生まれたものである。
そして、少なくとも何千年もの歴史を経ても、真実は解明されていない。
事実
宇宙論や数学では何次元でも数式上で計算可能だが、では5次元時空を想像することはできない。
これは明らかな思考限界の例だ。
他にも沢山ある。
数学でいう無限大、無限小といわれる”無限”という概念について明確に想像できない。
時間も過去から未来に向けて無限に続くという概念も本当は難しく理解できない。
宇宙はビッグバンから生まれそのときから時も生まれたというが、ではその前は何?という矛盾した思考がどうしても捨てきれない。
等々。
一見、思考は自由で何でも想像や空想ができるものだと認識しいるが、実は単に時空に限らず、人の思考には様々な面で限界があるのである。
このような限界だらけの思考が生み出す五感を超えた、あの世や霊のことなどいくら頑張っても思考限界により無駄(誤った結果も生み出す)な努力をしているのかも知れない。
仮説
人間の五感による思考は、超えられない限界があり、かつ限界そのものを認識することが困難である。
例えば、犬や猫が自分の思考(もしあればの話だが)に限界があるとは思っていないと思う。
しかし、人間から見れば彼ら動物の思考範囲は極めて稚拙であり、限界だらけとわかるだろう。
人間についても同じことが言えるのではないだろうか。
つまり、人間の思考は人を真実に導く力を持っていないということになる。
ゴーダマ仏陀や、インドの聖者たちは思考以外の方法で悟りに至ったのではないだろうか。
したがって、少なくとも思考をもとにしたスピの理論体系はすべて信頼性が低いものと言えるのではないかと思うのである。
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