概要
昔流行ったスピリチュアルでも今は廃れてしまったものがいくつかある。
念写、スプーン曲げ、遠隔透視(箱なかを透視するも含む)など。
廃れたスピの分野の特徴は超能力系が多いと思う。
なぜ、超能力のスピは今は流行らないのだろう。
現状
念写は、ポラロイドカメラのフィルムに向かって心のイメージを投影すると何らかの像が感光するという実験が行われていた。
こっそり光を入れているのではという懐疑論の中、結局はっきりしないまま現在は忘れられている。
その背景には今や写真はデジタル化されフィルムを使うことがほぼなくなったこともあるだろう。
デジタルカメラに念写する人が現れないのは不思議である(笑)
物理的な力が作用する超能力の極めつけはスプーン曲げだが、今ではすっかりマジックの範疇になってしまい、スプーン曲げはマジックだと誰もが思うようになった。
このことは、超能力とマジックをはっきりと区別することがむずかしいということを意味する。
過去に自称超能力者を科学者が検証しても、マジックを科学者は超能力として認めてしまったという事例は山のようにあるのだ。
マジックは種を明かさない限り絶対に見破れない。
超能力はすべてマジックでも実現できることを人々は学んだのである。
遠隔透視は、今はリモートビューイングに形を変えてスピの世界では扱われているから完全に廃ってはいない。
しかし、リモートビューイングは昔の遠隔透視とは内容が大きく様変わりしている。
つまり、昔の遠隔透視は透視対象が明確であり、透視したいものを見ようとするものだったが、リモートビューイングは、透視対象すら特定せずただ、思い浮かべるのだ。逆にターゲットがあると邪念が入り透視できないためだという。
つまり、心に浮かんだ色々なイメージの中からたまたま実験対象と一致するものを引き当てるというものである。
これを、本当に透視と言えるのだろうか?
知りたいものを知りたいときに透視できない遠隔透視は役に立つのだろうか?
事実
念写が廃れた原因の一つに、念写による対価がないということだろう。
結局、人間の能力の研究対象としては面白いが対価がない能力だから忘れさられたと思われる。
超能力系は、かつて大国が軍事利用として研究されたほど大掛かりな時代があったが、物理的作用を確実に十分な強さを生み出すことができなかったため廃れてしまった。
少なくとも私は実際に念力でモノを浮かせたり変形させたりする人にお目にかかったことはない。
霊視やテレパスな能力を持った人とは沢山会ったことがあるのにである。
念動力は大変稀な能力であり、ヨーガの聖者の中には、もしかするとそのような能力者がいるのかもしれない。
それほど、稀な能力だからこそ一般受けすることはないため廃れたと思われる。
念動力が本当なら人の心臓を勝手に止めることができてしまう。恐ろしい危険な能力でもある。
仮説
現在のスピリチュアルの傾向(流行り)を一言でいうと、癒し系であろう。
心の平安、健康、美容など精神と身体が癒されるものが主流になった。
昔は、オカルト的なものが主流だったため、おどろおどろしいイメージが強く、スピリチュアルのいう言葉さえなかった。
それだけに、あまり一般の人々が関心を示さなかったというメリットはあった。
現代は癒し系を看板としているものが多く、そのため多くの人がスピリチュアルにはまっていきやすい時代なのだ。
そうゆ意味では、危険な時代である。
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