オーラにこだわる必要なし

概要

スピリチュアルでは定番というか、大人気の「オーラ」について思うことを記す。

オーラほど、人の何なのかぼんやりとしたイメージしか普及しているにも関わらず、誰もが何となく信じている不思議な存在だ。

その正体について考えてみよう。

現状

「オーラ」とは、人の体の外側に広がっているとされる光のようなものであるらしい。

「オーラ」は人の精神エネルギーを表すともいわれ、一般的に精神エネルギーに比例してオーラも大きくなると言われている。

実際に、「オーラが見える」という人は結構たくさんいる事実(一部ウソはあると思うが)から、「オーラ」は実際に存在するのだろう。

しかし、「オーラ」の成分や人の何なのか、その正体は不明だ。

また、なぜ存在するのに、見える人と見えない人がいるのかも謎である。

(注)多数の説があることは承知しているが、多数の説が氾濫していることこそが「オーラ」は”未知なもの”であるという証拠である

人は、自分の知らない自分のことを知りたいと思うものである。

「オーラ」を見てもらって何か自分がわかったような気がするという心理はよくわかる。自分もそうであったから。

しかし、「オーラ」が見えると何がわかるのか?何がいいのか?

はっきりしないことが多いのではないか。

色や形等が分かったから何だと言うのか。

「オーラ」が見えるという人の描写も様々である。

事実

オーラが見えない人からすれば、本当なのか適当なウソを言っているのか確認しようがない。

仮にウソでなくても、「オーラ」を見てもらった結果を聞き流すことができれば問題ないのだが、人の心は弱いもので言われたことが以外と心に刷り込まれてしまうのだ。

仮に、「あなたのオーラは曇っていますね」と言われたら、どんな人でも気分は悪いだろう。

後々ずっと記憶として残ってあとを引くのだ。

それよりも、決定的な事実はオーラを見る人によって表現が異なるということ。

本当にオーラが見えているのならば、誰が見ても同じように見えるはずだからだ。

つまり、巷のオーラの鑑定をしているほとんどは見えていないのだ。

ウソだと思うなら、色々な人に見てもらってその結果を比較してみるといい。

仮説

したがって、「オーラ」の商売をしている人にはあまり近づかない方が無難ではないかと思う。

どうしても興味があり知りたいと言う人は、見てもらえればいいだろう。オーラの鑑定自体そんなに実害も危険性もないので引き留めはしないが(笑)

ただし、上記のようにオーラの色や形状がわかったからといって何の役に立つのか、ということを再考してほしい。

本当に正確に「オーラ」が見える人は、公表せずに人知れず沈黙しているのではないかな。

もし「オーラ」が本当に人の本質的な一部であるならば、人の裸を透視するようなものでとても本人には言えないのではないか?あなたのお尻にほくろがありますねというように。。。

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