宇宙は映画を見ているのと同じ・かも

概要

皆さんご存じのように、私たちが見ている太陽は約8分前の姿だ。

4光年先の恒星の光は4年前の姿を観測している。

要するに、スクリーンに映し出された光を見ているのと同じだ。

私たちは、実は実際の物体を直接認識することはできていない。

すべて、光や音といった媒体を通じて伝えられた信号を脳が再構築している。

映画館で体験する原理と同じ環境で生活しているのだ。

現状

生まれてから死ぬまで、五感によって脳が再構成する世界観を本当の現実だと思うのはしごく当然であり、無理もないことだ。

逆に、そのようになるように仕組まれた世界がこの世なのかも知れない。

ではその目的は何なのか?という疑問がわく。

事実

量子力学でわかっていることは、物質の究極はどうも粒ではないらしいこと。

素粒子はエネルギーの波のようなものであり、カチッとした芯のようなものはないというのだ。

素人の印象としては陽炎のようなイメージを彷彿とさせる。

実際に、目の前にある人や物を目で見ることはできるが、厳密には光信号を脳で再生しているにすぎない。すなわち、私たちを囲む時空空間に投射された画像を見ているのだ。

では、触ることができるではないか?そこには何かがある証拠だと思うだろう。

それも、物理的な仕組みでいえば、直接者に触っているわけではなく、電磁気の作用を媒介として神経内に伝達物質が流れ、脳で感覚という処理を行って感じているのだ。

光で見て、電磁気作用で触れているにすぎない。

どこまで行っても、この世の物質を直接認識することは不可能なのだ。

映画を見ているのと同じ原理なのだ。

むしろ、テクノロジーの進歩でバーチャルリアリティ(VR)技術が発達した今日ではますます現実とのバーチャル空間との境がはっきりしなくなってきている。

仮説

要するに、実体とは何かということだろう。

在る、無いの違いは何だろう。

実際に存在するという実体とは、変化がない。つまり時間の概念がない。永遠不滅であれば実体と納得できる。

しかし、この宇宙に変化しないものはない。だからこの宇宙は始まりと終わりがある。すなわち仮想的なものとして納得できる。

では、実体とはどこにあるのだろうか?

少なくともこの宇宙の中にはなさそうである。

残念ながら、この宇宙の中で生きる人間の認識の限界によって実体を認識することは非常に困難か不可能に近いのかも知れない。

ゴーダマ仏陀はその秘密を知ったのだろうと思う。

しかしながら、それを言葉で表すことができないためにその教えは歴史に中に埋没する宿命だったのだろう。

いつの時代でも、この仮想現実の宇宙のことを本当に理解することはゴーダマ仏陀ような偉大なグルが現れる時代意外では不可能なことなのだ。

実体を認識することなく、この世の目的や宇宙の存在理由は謎のままである。

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