概要
霊を見ることができる人は本当にいるのか?またいたとしも稀な存在ではないか?と思う人がほとんどだろう。
しかし、霊を見たり感じる人は、思った程より多くいると思う。
レベルの差はあるが、人に知られたくない、あるいは自分で気が付いていないために黙秘している人は多くいる。
霊視能力は何ら問題ないが、見える霊が問題なのだ。
現状
そもそも、霊がどのようなものか現代では正体不明だが、「地上に関心を持つ肉体を持たない人間や動物」と仮に定義しておこう。
私の個人的仮説だが、霊もあの世も未知の”物質”でできているのではないかと推測している。
なぜならば、私たち人間やこの世と同じ地球(地)上に定住できているからである。
つまり、重力が作用しているからこそ、地球の慣性系に同期できているのではないかというのが理由だ。
もっとも、私の疑似科学にすぎないが、話が進まないのであえて霊も未知の物質でできた人間の意識と仮定しよう。
物質がゆえに人のセンサー範囲の個人差によって見える人がいたり見えない人がいるののかも知れないのではないかと思っている。
事実
私は、普通に霊を見ることができる人を過去に何度か遭遇した。1つや2つといった稀なケースでないことは確かだ。
であるならば、何かがそこに存在して、何らかの媒体(光のような)を通じて認識しているのだ。
しかし霊視ができる多くの人は、時にそれを自慢するわけでもなく、むしろ煩わしい感覚だと思って普通の平凡な日常を送っている。
一部の人がその能力を人のために役立てようとか、自分は特殊な人間だと思い、信望者を集める人達がいてスピマスターになったりする。
仮説
この世で見える霊は少なくとも、私たちより高尚でもなければ私たちを助けるような存在ではないと考えるほうが普通である。
この世に関心があるのは、私たちと同じレベルの意識だからとするのはごく自然だろう。
そんな彼らを見ることができたといって、何の益があるというのだろう。
極端にいえば、駅前の通りすがりの人達を見ることと大差ないのではないだろうか。
どちらかというと、見える霊は、複雑な事情を抱えているからこそこの世にいるわけだから、あまり近づかない方がいいと思う。
身体を持った人間は、身体をもった者同士が付き合えばよいわけで、霊は霊にまかせておけばよいのだ。
要するに、近づくのは危ないということがいいたいのだ。
決して、自分が特殊な能力を持った人間だとうぬぼれないで少し人より感度がよいと思う程度に収めておき、黙って秘密にしておくことをお勧めする。
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