概要
スピリチュアルにのめり込むときに「これは本物だ!」という強い思いを持つことが全ての人に共通する心理状態である。
果たして、その思いの根拠は何なのか?考えてみたことはあるだろうか?
実は、何の確固たる根拠はないのだ。
現状
人は何か新しい力や思想に接すると感動したりする。
まさしく、「これぞ探し求めていたものだ!」と心をときめかせるのである。
映画やドラマなら問題はない。大いに感動してもらって結構だ。
スピの世界の常套句で用いられるのが、「あなたが正しいという思いこそが真理の証」というものだ。
つまり、スピの世界に入ってきたのはあたなの崇高な思いだとおだてられているに過ぎない。
まるで、自分が何か偉い者に思えてしまい、ますます泥沼にハマっていくのだ。
事実
スピマスターは、私たちの心の弱点を同じ弱者として知り尽くしているからこそ、本物だと感動させる要素をちりばめることができるのだ。
実は、私たちの感動や本物だと思う根拠は頼りない陽炎のようなものだ。
幼少から接する文化や風習および親の影響により無意識に自己中心的な判断基準を持つに至る。
それに合えば正しいし本物だと思うし、反すれば拒絶する。
決して心の奥底の神秘的な何者かが正しい判断をしているわけではないのだ。
その証拠に、あなたは何種類ものスピマスターの言うことを信じ、迷い、離れてきたはずである。
人の印象ほど、いい加減なものはないのだ。
仮説
スピリチュアルに感動してはいけない。安易に本物だと思ってもいけない。
自分のフィーリングに合っていると思ってもそれは勘違いだ。
自分の感動や思いは、叩けば痛い無条件反射のようなものであり、決して崇高な思いに端を発するものではないことを意識しよう。
冷静になることだ。
そうすれば、スピが何と薄っぺらな世界か鳥瞰できるのだろう。
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