概要
姓名判断とは、庶民に浸透している身近な占いである。
人名によって運勢(全体運、仕事運、家庭運、金運、健康運、結婚運、適職、性格など)を鑑定する。
ここでは、姓名判断の本質をあらためて見直してみよう。
そして、姓名判断の本当に良い点を正しく見出そう。
誤解ないように断っておくが、姓名判断の占い方や鑑定方法について解説するものではない。
あくまで、姓名判断全体の共通認識を見直すものである。
現状
最初に、姓名判断が着目する占いのポイントを整理する。
- 名前(漢字、ひらがな、カタカナ)の画数
- 名前の音
- 生年月日
- 陰陽
- 性別
など
姓名判断の最大の弱点は、同一画数の人の運勢がなぜ同じではないのかということ。
同姓同名がその典型だ。同じ名前でも、健康な人・病気がち人、お金持ちの人・貧乏な人がいるというように。
この分かり過ぎるほどの弱点は占い師も当然わかっており、ちゃんと対策を用意している。
その一つが、画数以外の要素を補完することだ。
生年月日で占うのは、もはや星占いとのコラボレーションだ。
名前の音や陰陽、および性別などは、画数以外の要素を付加して、運勢の組み合わせのバリエーションを増やしている。
これら補完により、同じ画数でも人によって運勢が異なるという理屈である。
次に、画数ごとの吉兆の根拠はどこにあるのか。
- 昔からのネタ本をもとにしている
- 自分で占った結果を統計的に分析する
1.は、ネタ本の無限ループの場合は、どこまで追求しても根拠はないことになる。もし本当のオリジナル本が存在するとしてもその本は2.に該当する。
2.は、真面目で熱心な占い師の何千ものデータを分析した努力の賜物である。
しかし、残念ながら人の人生を客観的に検証することは大変困難である。
例えば、占い師が占った同じ画数1000人のうち500人が気性の激しい性格だと判断しても占い師が1000人の人の性格を正確に知ることができるだろうか?
3つめに、画数の数え方が統一されていない。
占い師によって、新旧漢字の使い分けが異なるのである。
これは私たち占なう(ってもらう)側としては大問題だ。
画数は1つ異なると吉兆に天と地の差があるからだ。
ある姓名判断の占いでは大吉、別の姓名判断では大凶となってしまいどちらを信じてよいか困ってしまう。
4つめに、未来予測にはあまり向いていない。
全体の運が良い/悪い。せいぜい、人生の前中後半の運勢の傾向までしか結果が出ない。
姓名判断でいつ頃、事故や病気が起こるといった具体的な時系列の予測結果を導けるものに出会ったことがない。
そのわかりやすい理由は、姓名判断は命名後は一生のうち、いつ占っても同じ結果になるということ。
子供のときも、老後のときに占っても同じ結果となるのでは、未来予測が苦手なのは当然だ。
ただし、女性が結婚して姓が変わったときは占いの結果も変わるが、そう度々あるものではない。
以上の通り、姓名判断は他の手法を補完することで自らの方法に限界があることを認めているようなものだ。
運勢は画数により何となくいい名前、悪い名前がわかる程度であり、むしろ適職や性格などが得意なので適正検査に近い。
事実
以下に姓名判断の現実を思いつく限り列挙してみた。
- 実際に姓名判断で占う一般的なパターンは、
- 今までの運勢を変えたい人が名前を変えたいと思うとき
- 生まれた赤ちゃんの命名に迷ったとき
- 人生の岐路で迷っているような切羽詰まった人が姓名判断で占うことはほとんどない
- 姓名判断は、誰でも簡単な手順で占えるので、姓名判断の書籍やネットサイトが多いことも特徴である(ネットでは、名前を入力するだけで大雑把な占いを無料でできるサイトが無数にある)
- 姓名判断は、名前さえわかれば他人を簡単に占うことができる
仮説
姓名判断は、大雑把な運勢や性格しかわからないが、むしろそれが安心して占える良い点でもある。
また、他人の占いも簡単にできることも手伝って、庶民が気軽に楽しめる格好の占いとなっている。
さらに、赤ちゃんの名前を決める方法のスタンダードという地位も獲得している。
子供の行く末の幸せを願う親がよい画数の名前を付けたいという思いが目的なので、画数の吉兆の真偽は全く問題ないのだ。
もし、姓名判断がこの世からなくなってしまえば、影響は大きいだろう。
庶民の楽しみも無くなるし、赤ちゃんの名前を決めることができなくなってしまう。
したがって、一般の庶民のおまじない文化として姓名判断はなくてはならないものなのだ。
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