概要
誰もが気になる自分の寿命、何歳まで生きるのか?
スピリチュアルでは、あえて避けている。
特に未来予測の専門である占いではどの占い法でも、寿命に関しては触れない。
果たして、寿命とは各人決まっているのか?それとも不定なのか?
結論は出ないが思うところを挙げてみようと思う。
現状
少し前にブームとなり映画化されたあるアニメでは、人の頭の上に数字が見えてそれが残りの寿命日数だというものがあった。
これは、暗に寿命はあらかじめ決まっているという前提の話だ。
寿命とは、人の亡くなり方(以下)によっても解釈がむずかしい。
- 老衰で高齢で亡くなる場合
- 病気や事故で比較的若くして亡くなる場合
- 自殺で亡くなる場合
- (注)上記以外にも特殊なケースは多々あるがここでは一般的なものだけを扱うものとする
老衰による死は寿命が決まっているといっても何となく納得がいく。
病気は微妙だ。遺伝的な要因なら宿命的だし、暴飲暴食など不摂生な生活による病死ならば本人の責任となる。
事故は判断がむずかしい。運命論的にも偶発性(単に運が悪い)ともどちらともいえない。
自殺の場合は原因が本人の意思であるから、寿命は生きている本人が自由に決められるということになる。
事実
冒頭でも明記したように、人は自分の寿命を知らない。これは厳然たる事実だ。
だが、必ずいつか人は亡くなる(それもおよそ100年以内に)
なぜ、人は自分の寿命を知ることができないのか?
寿命を知らないことが、何のメリットがあり何のデメリットがあるのか。
この問題も難しい。
かつて不治の病と恐れられたガン告知と同じだ。
人によっては残された寿命を知ることで充実した残りの人生を送ることができる。
ある人は、絶望のまま残りの人生を生きる(突然亡くなる方が幸せかもしれないという意味)
この世の仕組みは寿命の情報はだれも知りえないのが事実である。
なお、占いでは暗黙のルールとして人の寿命を占ってはいけないとなっているものが多い。
インパクト大きからね(笑)
仮説
かつて若い頃自分の寿命が理由もなく気になって仕方がないときがあった。
今は還暦を過ぎているにも拘らず、なぜかあまり自分の寿命が気にならない。
立花隆のがんについて取材したドキュメンタリー番組の中で、印象深く大変気に入った言葉があるので紹介する。
「人は死ぬまで生きる」
これでいいのではないかと思う。
今日がどんな日であろうと明日以降のことはわからない。
おそらく、寿命は旅行のスケジュールのように決まってはいるが、場合によっては予定変更も在り得る。
そんな感じじゃないかなぁと思う。
だから、死ぬまで生きる、これ以上確かなことはない。
そしてなぜだか、気持ちが落ち着くのだ。
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