後付け予言のからくり

概要

予言ネタのスピリチュアルでは、「実は、○○が予言されていた!」という後からわかったネタをよく目にしないだろうか。

この、実は・・・予言されていた的「後付け予言」は意味がないことをお伝えする。

現状

1970年代に日本を席巻した「大予言」に限らず、予言の正確さをアピールするために、よく使われる常套手法、それが「後付け予言」である。

何か大きな事件や事故を、予言に照らし合わせて、実はこの事件・事故の予言をしていたのだった!という奴である。

これを「後付け予言」、または「後出し予言」という。

読者は、これで予言の信憑性を信じ込まされるのである。

さて、「後付け予言」は、本当に予言の正確性を証明するものだろうか?

否である。「後付け予言」は、逆に以下を証明している。

  • 予言は事件・事故を特定できなかった
  • 後から分かる予言は予言の目的を成していない
  • 他の予言も同様に、未来予知をすることができない可能性がある

つまり、自ら予言の不正確さを露呈しているのだ。

事実

ここで、もっともな疑問に対して回答しておきたい。

予言には人の名前や地名などの特定できるキーワードが存在することは事実である。

それがあるから後から予言を確認できるし、予言の信憑性を証明するものではないかと。

確かに、予言はデタラメなものではないことは事実認めよう。何らかの情報(情報源は不明だが)をもとに未来を予知していると思われるため、ぼんやりとごく一部を予言している可能性はあるだろう。

しかし、仮に人の名前(WHO)や地名(WHERE)が一致しても、いつ(WHEN)、何が(WHAT)、なぜ(WHY)、どのように(HOW)がわからなければ、結局は意味のない情報ではないだろうか。

もちろん、何一つ一致していないのに、こじ付けて紹介するケースもあるが、それはもっと論外である。

こじ付けしなければならないこと自体が、予言が意味不明なものであることを皮肉にも裏付けている。

未来を正確に予知するためには、5W1Hが必要だが、予言の多くは曖昧なものばかりなので「後付け予言」にしかならないのは当然ではある。

仮説

事件・事故が起きてから予言の意味がわかる。

これは、端的に予言が役に立たないことを示唆している。

しかし、ぼんやりして「後付け予言」を受け入れると予言の正確さを証明しているような錯覚に陥るからだまされないように。

予言は、未来予知ではなく、暗示なのである。(「予言の目的は暗示」参照)

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