概要
人が悟ったり、アセション(次元上昇?)するための正攻法である瞑想。
この瞑想法には実に様々なテクニックがある。
数多(あまた)ある瞑想テクニックのうちほんの一部だが私が実際に実行したものを紹介しその感想を述べる。
本記事は、ある特定の瞑想法を評価、批判することが目的ではない。
瞑想法の名称は明記せず、あくまで一般的な動作や方法で表現することをお断りしておく。
現状
瞑想法全般に対する印象は、なぜ複雑な方法を取り入れるものが多いのか?ということ。
他の瞑想法との差別化を図りたいため複雑になってしまうのだろうか。。。
瞑想が本当に悟りに至る王道であれば、人の最も普通の動作が基本になるのではと疑問に思っている。
さて、実際に試してみた瞑想テクニックは以下である。
- エネルギー(のような)流れをイメージする
- 息を一定時間止めてから吐く
- ある物、またはある動作に集中する
- 過去の思いや行為を反省する
- 決まった言葉(マンダラ)を唱える(言葉ではなく数字のみを唱えるものもある)
- 音を聞く(バイノーラル音や、波の音など)
- 鼻の片方から息を吸い、片方から吐く
まだ、忘れているものもありそうだが、すぐに思いつくものだけでもこれだけある。
ただ、不思議なことにどの瞑想法も姿勢の基本は背中と頭を真っすぐにすること(胡坐でも椅子にすわってもよい)は共通している。だから背中と頭を真っすぐにする姿勢は正しいのかも知れない。
事実
各瞑想法の感想を述べよう。
1.は、エネルギーを想像するので中々楽しく瞑想できる。
しかし、中には大変危険な方法もあるらしいので近寄らない方がいいかも知れない。
2.は、苦しい。初級レベルはまだ我慢できるがレベルが上がるにつれ、息を止める時間が長くなり素人が行うには危険ではないだろうか。
3.は、集中できない。人の心は集中することが非常に苦手である。自己修練ではまず無理だろう。
4.は、気持ちが暗くなる。どうしても後悔の念が付きまとうので瞑想してもすっきりしない。
5.は、3の集中と近いものがあるが、マンダラを唱える間は集中し易い。しかし毎日続けていると同じ言葉なので飽きてしまう。
6.は、リラックス感を得るには最適な方法だったが、瞑想というより音楽鑑賞に近いかも知れない。
7.は、息を吸って吐く感覚が鋭くなるので意外と気持ちのよい呼吸法である(実際に、自律神経を整える手法としても応用されている)
仮説
上記の手法はどれもある一定期間(半年~数年)継続して試してみたが、特に何も変化はなかった。
それは個人の能力・努力不足が原因だから、どの瞑想法が良い/悪いとはいえない。
しかし、なぜ瞑想法は多種多様であり、それぞれが我こそが正しい瞑想法だと言うのだろうか?
本当の瞑想法が歴史に埋もれて失われてしまったためではないだろうか。
ところで、ゴーダマ仏陀やイエスはどんな瞑想をしていたのだろうか?
少なくとも本記事で紹介した方法は実践していなかったのではないかと思う。
直接指導されていたに違いない当時の弟子たちがうらやましい。
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