概要
スピリチュアルの世界には様々な瞑想法が紹介されている。
また、瞑想法を指導するマスターや団体が数多く存在する。
しかし、本当に瞑想によって人は変わることができるのか?
さらには、瞑想で悟ることができるのだろうか?
結論は、スピ系の瞑想法では悟れないということになる。
その単純明快な理由を述べよう。
現状
瞑想法を編み出したマスターたちがいる。
そのマスターが自分の瞑想法で悟っているのだろうか?
否、誰一人悟っていないはずである。
何か、気分が高揚したり幻を見たりする経験はきっと何度も体験しているだろう。
しかし、そこまでなのである。
#平凡なおじさんのお前がどうしてそこまでわかるのか?
という質問は当然である。
それは、スピ系の瞑想マスターが述べている内容を見れば悟っているかどうかなど簡単に判断できる。
その理由はこうだ。
事実
瞑想法のメリットとして、
- 引き寄せの法則によって、希望するものが手に入る
- 健康になれる
- 心が落ち着く
- 超能力が身につく
などを掲げているようでは完全にアウトである。
ヨーガでいう悟りとは、
- 現生のお金や物には無縁である
- 身体の健康と悟りは無関係である(病の人でも悟りはある)
- 心が落ち着くのではなく、心を意識しなくなるのである
- 悟りと超能力は無関係である。むしろ、見えないものが見えたり聞こえたりするのは危険な兆候である。
こんなに単純なことでわかるのだ。平凡なおじさんでもね(笑)
現生利益を瞑想のメリットとしてするスピリチュアルの瞑想マスターは本当の瞑想のことを理解していない。
まあ、商売をする上では無理もない。現生利益がなければ人は集まらないからね。
ところが、その現生利益を得る効果がほとんどないといっていいのが悲しいところだ。
なぜなら、現生利益は現生の法則に則った真っ当な努力によってしか得られないからだ。
お金が今よりもっと欲しければ、瞑想するよりアルバイトした方が早い。
というほど、単純な理論だ。
仮説
スピリチュアルの瞑想で何か夢をかなえたり、欲しいものを手に入れたり、運を引き寄せようとしたりすることは自由だが、非常に効果が薄いためにコストパフォーマンスが悪すぎるのである。
スピリチュアルの瞑想マスターがどうかよく見てみよう。
瞑想によって、何もかも自在になるのであれば、Webサイトなどで生徒を募って教室を開いたりはしていないと思う。もっと社会を、世界を救う仕事をしているはずである。
スピの瞑想マスターの皆さん、瞑想ではなくて「何かすばらしいことが起こることを希望し続ける方法」として教室を開けばウソのない活動になるのではないか。
私は、スピ系の瞑想法を長期間訓練したが、何の効果もなかった。
自分の才能の無さや、訓練の仕方に問題があったとは思うが、それだけではないと思う。
無駄な時間を費やした貴重な時間を返してもらいたいくらいだ。
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