危ない瞑想法とは

概要

瞑想は人を飛躍させるための大変友好な手段であることは間違いない。

しかし、人の飛躍とは精神(心)の変革であり、人格そのものに影響を与えるものなので一つ間違えると大変危険なものではないか?

人の精神構造(心の実態)が十分に解明されていない現代において、あまりおすすめしない方がいいと思う瞑想法を紹介する。

現状

代表的な危険性を伴う可能性がある瞑想法は以下の通り。

呼吸を止める:

 瞑想は、呼吸を重視するという共通点があるため様々な呼吸法がある。

 基本的にはゆっくりと呼吸するというのが一般的だし特に危険はない。

 しかし、呼吸を意図的に一定時間止めるという方法がある。

 これは、ヨーガのクンパカといって確かに呼吸を止める訓練法があるのだが、素人が独学でこれをやると非常に危ない。

 息を止める時間が長いほどよいと勘違いして、酸欠状態までがんばってしまうと医学的にもヤバいことは自明である。

エネルギーの上昇:

 尾骶骨にあるエネルギーを想像してそれを背筋を通して頭に抜けさせるという奴である。

 これも、ヨーガの修行法の一部にあるが少なくとも ”エネルギー” というだけあって何らかの未知の力であることは間違いない。

 未知のエネルギーを気まぐれに扱えば大やけどをすることは明白であろう。

 高圧電流を見造作にあつかうようなものだからである。

過去の過ちを反省する:

 過去のよくないと思う行動や思考を思い出して反省して心を浄化するというもの。

 ある程度心が浄化される効果もあるが、多くは暗い気持ちに陥ってしまうことになり精神を低迷させる。

心を忙しく働かせる:

 瞑想の基本は心の活動を抑制し、無念夢想を目指すものだが、逆に頭に浮かぶ想念や思考、または行動を逐一意識する瞑想法である。これは逆に心を酷使するため逆に心を疲弊させてしまう。

マンダラを唱える:

 同じ言葉を繰り返し繰り返し唱える瞑想法である。念仏はそれに近い。

 マンダラの内容に問題がなければよいのだが、マンダラの内容に問題があると唱えるたびに心に悪影響を与え続けてしまう。

 また、意味不明のマンダラも内容が不明のため危ない。

事実

ヨーガの瞑想法の基本は変わっていない。

時代が下って、様々な人がオリジナリティを付加するために余計な尾ひれがついた瞑想法になってしまっていると思う。

瞑想は方法やテクニックよりも、単純で基礎的な瞑想法を継続することの方がよっぽど大事だと思うが、現代人は継続が大変苦手である。

なので、瞑想のテクニックで即効効果を得ようとするため、テクニックに魅力を感じてしまうのだろう。

ところで、誤った瞑想法による事故や障害は聞いたことがないため、安全なものと思っているだろう。

しかし、実際は危険な瞑想法によって、多くの犠牲者がいることは事実である。

瞑想による障害は、目に見えない精神的なものなのでマスコミや警察が取り扱えないため表に出てこないだけである。

仮説

人の心を落ち着かせ安らぎを得るための手法としてスピリチュアルの世界では多くが瞑想を進めている。

正しい瞑想法はすばらしい効果を生むが、誤った瞑想は逆に不幸になったり障害が発生する。

ハイリターン・ハイリスクなのだ。

安全のため、少なくとも書籍やサイトで紹介されている瞑想を自己流で実践することだけはやめておくことをお勧めする。

どうしても瞑想を実践したい場合は、必ず実績のある信用できるマスターのもとに行うべきだが、そもそもスピリチュアルには瞑想のマスターがいないからなぁ。困ったものだ。

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