概要
私が小学校6年生頃に五島勉のノストラダムスの大予言を知って、人類が1999年8月頃に滅亡すると思い込みショックを受けた。
なぜなら、1999年はまだ私が40歳だからだ。えー、そんなに早く死んじゃうの?と子供心で心配したというわけだ(笑)
実は、終末論というか、人類滅亡の予言は太古の時代から現代まで延々と引き継がれている由緒ある歴史的なものなのだ。
本記事では終末論について述べる。
現状
2021年の現在、1999年の人類滅亡説や、2012年の大カタストロフィー説は過去の遺物として忘れ去られているが、未だに、直近の未来における滅亡説の予言は沢山存在する。
実は、どの時代もいつの時代もあと数年後、あるいは数十年後に滅亡するという終末予言は存在するのだ。そして全て外れても外れても新しい予言が出現される繰り返しなのだ。
なぜこうも人類は終末予言が大好きなのか?
人類は自虐的なのだろうか?
最も大きな理由の一つに聖書の終末予言が根底にある。
これはよく誤解している人が多いが、人類が滅亡するのではなく、一度人類はリセットされて新しく生まれ変わるという予言だ。
そのリセットが艱難時代(7年間)といって、全人口の3/4が亡くなると言われているのでほぼ、滅亡的な予言として勘違いされやすいのである。
ましてや、聖書は人類の約1/3が信じている巨大宗教である。
どうしても、聖書の終末予言はいつか実現されるだろうという根深い人類の思い込みがあるため、いつの時代も終末予言が絶えないというわけだ
事実
聖書予言は、確かに過去の歴史通りの予言をしているようにも見えるため、艱難時代そして、新世界を迎えるという黙示録予言はいつか実現するのかも知れないと思わせる。
ここで、聖書の真偽について述べることはしないが、聖書の真偽に関わらず聖書を本気で信じている人類がいかに多いかという事実こそが重要だ。
少なくも人類の3人に1人が聖書を信じているとすれば、暗黙に人類は聖書通りの歴史を刻もうとする大きなエネルギーになるからだ。
つまり、聖書が人類の未来を予言しているのではなく、人類が予言通りに実行するわけである。
いわば、予言というよりは人類は聖書によってコントロールされているのかも知れない。
仮説
現在の世界情勢を見ているとやがて近いうちにカタストロフィーによって、人類は大きな行き詰り状態になることは誰が見ても明らかであろう。
核は使わない抑止兵器だが、使える兵器である以上、いつかは使われるだろう。
どこまでいっても、イデオロギーの違いによる民族虐待やジェノサイドはなくならない。
人口も無制限に増加することは地球資源が有限である限りあり得ない。
いつか人口爆発によって水や食料不足に陥ることは明らかだが、問題は先送りにされている。というかどうしてよいかわからない状態である。
むしろ、聖書に頼らなくても、冷静に今の人類を見ればいつかは終末的な結末を迎えるというのは誰もが暗に思うところだろう。
ただ、見て見ぬふりをしているしかないのだ。なぜなら私たちは今日明日生きていくことで精いっぱいなのだから。
したがって、私の終末予言に関する見解はこうだ。
わざわざ、聖書や巷の怪しい予言者の終末予言を気にすることはない。
人類はなるようになる(おそらくそう遠くない未来に大きなカタストロフィーがくる)のだから、今日という一日を大切に生きるしかないのだ。
あまりにも平凡だが、今何かを心配しても未来は変わらない。
今を大切にすることは実際に今日という日が充実するという効果があるわけだから、お得なのだ。
変なまとめになってしまって申し訳ない。
※終末予言に関してはまた別の角度から述べたいと思う。
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