予言の矛盾

概要

予言とは、未来に起こることを予め人類に知らしめることである。

当然ながら、予言は一般的に世界や国家単位といった大きな歴史的動向や災いを対象とする。

特定の地域や、個人の未来予測は予言ではなく占いに近い。

ここでは、予言の目的やその意義について考察してみる。

現状

1970年代、日本ではかの有名なフランス人の予言書が話題になったものだ。

私は当時まだ小学生だったので、20世紀末の人類滅亡で自分も40歳位で死ぬのかなぁと真剣に心配した(笑)

幸いにもまだ人類は滅亡していないし私はまだ生きている。

 

さて、予言の目的とは何だろう?

実は、これが中々難題である。

ここでは、考察しやすいように予言の定義をA と Bに仮定して話を進める。

  • A:予言は可能性であり、未来は変更できる。特に災いを回避させるための警告である。
  • B:予言は確定しており、未来は変更できない

チャネラーや、占い師などの予言はほとんどAを前提としている。

災いは避けられる方が希望があるし、避けたいものだ。

一方、Bは人類に選択の余地はない。例えば聖書予言はBに該当する。

人類は、災いには怯え、明るい結末に臨みを託して厳粛に待つのみである。

事実

予言の目的はA、Bによってまるで異なってくる。

Aは、占いの目的と似ている。

つまり、未来を予知して災いを回避することである。

しかし、未来予知には論理的に矛盾(以下)を抱えている

  • 予言された災いが予言通りに実現した場合は、予言の信頼性は高まるが災いを回避させる目的は達成されないことになる
  • 予言された災いが実現しなかった場合は、災いを回避させたのかもしれないが、予言が外れたともいえる(でたらめな予言が全て外れたことと区別がつかない)

つまり、予言のおかげで人類が災いを回避できるかどうかは断定できないのだ。

 

Bは、運命論なので、予言通りに実現することを人類に事前に知らしめることが目的だ。

実際に、予言を達成させるために行動する人たちもいるのである。

しかし、運命論的予言も矛盾がある。

その矛盾とは、

  • 予言は必ず起きるという前提のため、予言通り実現しない限り永遠に予言として存在すること

すなわち、予言が実現していないいつの時点でも、予言に誤りがあるのか、まだ到来していないのか永遠に判断することができないのだ。

仮説

予言は、あたかも人類の未来が見通せるかのような錯覚に陥るが、矛盾を抱えているため予言の存在意義を明確にすることは非常に難しいのである。

 

もし、世界から予言がなくなれば人類はどうなるのだろうか?

予言がなくなってしまうと、人類は向かうべき目標を失ってしまうのだろうか?

何か不都合でもあるのだろうか?

疑問で終わってしまうが、考えてみる価値はあると思う。

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