概要
あの世はどうなっているのか?人は亡くなったらどうなるのか?
このような疑問、興味を持つ人達は大変多い。
私もそのうちの一人だった。
しかし、今はあの世がどうなっているかは興味を失っている。
その理由を述べよう。
現状
なぜ、あの世のことを語る人がいるのか?
最も典型的なのが、臨死体験者である。
あの世に行きかけたが生き返ったためその記憶を語るタイプ。
次が、生きたままあの世を見てくるというタイプ。
音響システムや、訓練又は本来の能力による幽体離脱であの世をいつでも見に行けるというものだ。
私もそのような体験談の書籍をあさって読んだものだ。
事実
多くのあの世体験談を読んでわかったことがある。
それは、どの体験談も共通点があまりない(というかほとんどない)ということである。
もちろん似た点もある。
日本人ならば川を見たり、わたるというのが多いが、西洋ではそういった体験談は見当たらない。
これは、明らかに文化による先入観が背景となっている。
しかし、そうした文化的な共通点意外に特に共通点はなく、人それぞれ異なる体験をしているということだ。
つまり、あの世の体験談は真偽に関わらず、客観的なものではない可能性が高い。
仮説
あの世の体験談には色々な現象が区別できずにごちゃまぜになっていると思う。
可能性としては、
- 脳が作り出す幻影(夢)
- 人によってあの世を見た範囲は非常に限られた範囲であること
- 思い込みによる記憶の歪み
- 何者かにビジョンを見せられている
等がある。
体験が本当だとしても、個人個人の信念や先入観によりゆがめられたイメージであれば、体験談は第三者にはあまり参考にならないだろう。
そして、どんなに体験談を集めてもどれ一つも確証できないという当たり前の事実がある限り、どの体験談の真偽は判断できないのである。
※体験したことを現実に照らし合わせたり、他の体験談と比較したりして実証を試みた人物もいる。
その試みは尊重に値するが、まだまだそのような事例は少なすぎるし、かなり主観的な確証のように見えるため決定的な証拠になり得ていない印象である。
だからこそ、人類発祥依頼、あの世の世界は永遠に人の想像や空想の世界から一歩も踏み出すことはできていないのだ。
そのようなものを信じたり疑ったり関心を持つことは時間の無駄かも知れないと思うようになった次第である。
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