生まれ変わりにおける記憶喪失の話

概要

皆さん、過去世のことは憶えていないと思う。

当たり前だよね。

だからこそ、生まれた時代に適用し生きることができるのかも知れない。

もし、現代人が多くの過去世の記憶を持ったまま生まれると頭が混乱するかも知れない。

このように、人生の記憶が生まれ変わる度に忘れてしまうことはよいことだというのがスピリチュアルの論法だ。

ところで、よくよく考えてみたらどんな時代に生まれてもその時代の世界観を標準(当たり前)として生きるわけだから何度どの時代に生まれても基本的な人生の苦楽は同じなんじゃないか?という疑問も成り立つ。

本記事は記憶をなくして生まれ変わることの意味について考えてみたい。

現状

今生きてる皆さんは、それなりの科学文明の恩恵を受けながら生活していると思っている。

スマホは大変便利なため、いまや体の一部とさえなりつつある。

さらに、自分があの世に行って再び未来に生まれ変わったとすると、今よりもっともっと進んだ科学技術の恩恵を受られる人生が歩めると思っていないか?

しかし、未来の時代に生まれ現代の記憶を失っていれば、その時代の便利さが当たり前であり、現代と何ら変わらないのだ。

つまり、江戸時代に生きていた人は自分たちが現代人が感じるような不便さは感じていなかったことは間違いないだろう(現代の科学技術など知る由もないのだから)

結局どの時代でも共通した、親子・人間関係・恋愛・結婚などの人生で経験する不変の苦楽と遭遇し悩むわけだ。

つまり、生まれる時代はどんな時代でもある意味同じだといえる。

事実

前世の記憶はない。これは万人共通の事実だ。

※もちろん、ゴーダマ仏陀やヨーガの聖人たちは宿命通によって過去世すべてを見通せるのだがそれは例外とする

おまけに、自分の幼児の記憶さえ無い。

小学校頃からの記憶がようやく徐々におぼろげながら明確になってくる。

だから、人生は一度きりという唯物思想が生まれるのも当然だろう。

そうゆう世界観を持っている人が実は全人類でも大方の割合を占めるのではないだろうか?

周りの人に、死んだらどうなる?と聞くと10人中9人までがわからなくなってオシマイ。と答えるからだ(これ実際に個人の経験による事実)

つまり、スピリチュアルでは生まれ変わりは当然の大前提とされているが、世間一般では生まれ変わりは無いと信じられているのだ。

仮説

私は、ゴーダマ仏陀の輪廻転生思想を根拠に生まれ変わりはあると信じるものである。

その一方で前世の記憶がない事実は、今の人生のみに強くフォーカスさせる意図を感じる。

その理由は残念ながらわからない。

しかし、もし生まれ変わりが真実であれば、なぜその真実を隠すような仕組みになっているのか?

という別の疑問が発生するのだ。

真実がわかると都合が悪い何かがきっとあるのかも知れない。

あの世や宇宙は、何となく性善説のイメージで私たちは洗脳されているが本当にそうだろうか?

生まれ変わりを信じさせないようなこの世の現実は私たちの知らない大きな目的が隠されているのかも知れないのだ(陰謀論的な発想(笑))

わたしごとき凡夫にはその理由がわかる由もないが、前世の記憶がないということを無条件でよいことだと決めつけているスピリチュアルはマインドコントロールかも知れないということを提起したい。

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